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自分をコントロールする生き方

 前回「サウナ」の記事を書いて気付いたことがある。
 月2回でも、平日の午前中に「サウナ」に行く時間がある自分がいるということに。

 6年前に退職するまでは、自分が平日の午前中「サウナ」に行くなんて考えられなかった。
 平日、有給休暇をとったとしても、市内の温泉に行ったり、スーパーに買い物に行ったりなんてすることはなかった。
 「みんな働いているのに有給休暇とってサウナに行ってる」ことに対する罪悪感。
 そして「あの人、公務員なのに平日スーパーで買い物してる」という周りの目。
  
 たまの休みでも何かにコントロールされているような感じがした。

 それは仕事でも同じだった。
 若いころ、自分が与えられた仕事を終えても、上司や同僚が仕事をしていれば帰れなかった。そんな空気が蔓延していた。
 自分に用事があって止む無く帰る時もあったが、次の日同僚から『こんな忙しいときに帰るヤツもいるんだよな~」と上司が言っていた』ことを耳に した。
 それ以降、上司が帰るまでは仕事がなくてもとりあえず一緒に残業することにした。

 僕らは何にコントロールされているのだろうか?
 山本七平が「空気の研究」にもあるように、日本人が意思決定する際に「空気に支配」されやすいことはその通りなのかもしれない。
 上司が残業していると、皆残業しなければならないような空気になり、残業が当たり前の職場になってしまう・・・。
 今ではそんな職場も減ってきているのかもしれないが、自分が若いころは定時で帰らないで残業すること=仕事の評価の対象だった。
 
 こうやって「誰か」や「何か(空気)」にコントロールされているサラリーマン生活だった。
 もちろん、休暇もあって自由な時間もあるのだが、その時間ですら何かに拘束されている感じがして、自分の人生の時間を自分でコントロールできていない感じを常に持っていた。

 そんな自分がスポーツ担当課の係長になった時のことだ。
 「イベント」が目白押しで、スポーツによるまちづくりの計画も担っていたので、当時はめちゃくちゃ忙しかった。
 もちろん、残業は当たり前で、有給休暇もほとんどとらなかった(とれなかった)。
 だが、とても充実していた。
 
 イベントの前には、ハンバーガーのチェーン店で深夜まで参加者のリストを作るなどプライベートを削って仕事をしたり、終業時間に合わせて1回家に帰って子どもを保育所に迎えに行ってからまた仕事に戻る、なんてこともしていた。
 だが、全くと言っていいほど疲れはなかった。
 自分で仕事もプライベートもうまくコントロールできている気がした。
 
 この時は、上司や同僚にも恵まれ、チームとして活動しているような感を持っていた。
 また、トップリーダーや部長からも信頼を得ている、任された仕事をしているような気にもなっていた。
 そして、自分が興味のある「スポーツ」という分野で仕事ができたことが大きかった。
 だが、東日本大震災を境に、「自分の人生をコントロールできている感じ」がなくなっていく。

 職場は変わり、自分の発想や意思で仕事をしている感がなくなり、上司の望むような作業をすることが自分のミッションとなっていった。
 それとともに、自分の人生の価値や生きる意味についても考えるようにな ってきた。
 そして退職をする決断をする・・・・。

 
 
 こうしてサラリーマンを辞めた今、自分で自分の進む道を計画することができるようになった。また、やりたいこと、やりたくないことなど、自分の意志で自分の仕事を「コントロール」できるようになった。
 おかげで、達成感も得られるし、人の役に立っているという実感もある。それに対する対価はどうかな?という感もあるが、ストレスもなく、うまく人生をコントロールできているような気もする。

 だが、一方で自分で自分をコントロールするのはとても難しいことだと実感してもいる。

 僕らは、勉強にせよ、仕事にせよ、家事にせよ、やらなきゃいけない、やっておくと後々楽になるようなことに対しては、なかなか腰が重い傾向にある。一方で、受け身で楽だけど自分には何ももたらしてくれないモノに無意識に手を伸ばしている。
 スマホの動画に目をやり、テレビから流れてくるワイドショーを耳で聴きながら、SNSを気にする・・・そんなことをしながら、気がつけばとてつもない時間が経過している。
 実は人間は相当弱い生き物なのだ。

 そんな弱い生き物にとって、「コントロール」されることが実は生きやすかったりもする。
 学校、会社、世間の目。
 そういった規制装置による「コントロール」は、スマホを眺めたくなる自分の欲望を、怠惰な自分の生活を、律してくれる。
 自分があえて規制される場にいることで、いろいろなことを学ぶことができたり、我慢して働くことで稼ぐことができたり、知り合いが増えたりするようになる。規制装置にコントロールされることの対価もそれなりにある。
 
 だがそういった規制は、自分のやる気をも規制してしまい、伽藍の中の無気力なイヌとなり果ててしまうこともある
 僕らはどうしたらいいのだろうか?

 
    それに対する一つの答えは、自分が自分を「コントロール」しているという感覚を持つことだ。
 仕事が忙しくて実際に自分の時間を持てないときでも、自分がその時間をコントロールしているという感じをもつこと。
 誰かにやらせられているのではなく、自分がやってやっているんだという感覚を持つこと。

 上司に残業を付きあわされている自分は、上司に残業を付きあってあげている自分でもあるのだ。

 なんて優しい、懐の深い自分なんだろう!!!

 

 自分でコントロールしている感覚をもつと、不思議とポジティブになれる。
 

 「受動」から「能動」へ。
 
 あなたは誰かに動かされているのではない。
 
 自ら自分を動かしているのだ。

  
 
 


 

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