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「市民一斉清掃」を通じてみる文化の違い

 我が町には、年に3回程度市民が朝6時頃から自分の住んでいる地域をみんなで清掃する「市民一斉清掃」と呼ばれる活動がある。

 これはあくまでもボランティアベースで行われるもので、市も「強制ではないがみんなで一緒に街をきれいにしましょう」というスタンスで啓発活動を行っている。

 今日は、その年3回の活動の1回目の日。
 眠い目をこすりながら、朝早く集合場所へ向かう。

 地元の町内会の掲示板には「朝6時○○前に集合」と書いてあるので、6時までに集合すればいいと思ったら大間違い。
 
 最初にこの地域での「市民一斉清掃」に参加した時のことだ。
 朝6時ちょっと前に行ったら、みんなもくもくと下を向いて草取りをしていた。
 時間通りに行ったのに、なぜか遅刻したムードがありありだった。
 次の「市民一斉清掃」の時には、朝5時に起床して、自分の家の前を通って集合場所に向かう同じ町内会の人の様子を、自分の家の窓からそーっとうかがった。
 そうしたら、早い人はなんと30分前に行って活動を始めているではないか!
 さすがに30分前に行くのもどうかと思い、それ以降少なくとも15分前には行って清掃活動をするようにしている。
 
 これは「田舎あるある」の話で、飲み会でも会議でも地方の高齢者が参加する集まりでは、集合時間を「○時」と決めたとしてもなぜかみんな早く集まる。
 早く集まっても時間通りに始めてくれればいいのだが、飲み会では「練習」と称し時間前に乾杯をして飲み始める。会議においても、人がまだ集まっていないないのに時間より前に開会することがある。

 こういう文化に慣れておかないと、恥をかくことになる。

 アメリカの文化人類学者であるルースベネディクトは、著書「菊と刀」で、日本の国民性は世間体や外聞といった他人の視線を気にする「恥の文化」であると主張した。
 一方で、欧米諸国の国民性は内面の良心を重視する「罪の文化」とし、両者の違いは、行為に対する規範的規制の源が内なる自己(良心)にあるか、自己の外側(世間)にあるかの違いである、と両者を比較しながら考察した。

 「市民一斉清掃」の集合時間が朝6時でなのであれば、誰かが集合前に行っていたとしても、自分の信念に基づき朝6時に一斉清掃をはじめればいい。
 だが、高齢者が皆15分前に活動を始めているという状況(世間)の中で、悠々と6時から活動を始める勇気は自分にはない。
 そういう意味で言えば、まさに「恥の文化」。
 世間を気にすることが、自分の行動の動機づけになっているのだ。

 さらに言えば、この「市民一斉清掃」自体、「恥の文化」を大いに利用した活動である。
 そもそも、この「市民一斉清掃」には強制力がない。
 法律や条例等で決められている訳ではないし、活動しなかったからといって罰則があるわけでもない。

 だが、活動しないと、隣近所の井戸端会議で「あそこのおうちはいつも一斉清掃に出てこないね・・・」と話題に上る。
 実際話題には上ることはないかもしれないが、隣近所の人が道端で何か会話しているだけで、自分が市民一斉清掃にでてこないことを話題にして批判されているような気がしてくる。
 それが、いやいやでも「市民一斉清掃」に参加する人の論理であり、市は無意識的にその機能を活用している。

 このシステムは、未曽有の感染症に対する防御策として大いに機能した。
 日本人が欧米の諸外国に比べ、マスクの着用率が異常に高く、法的な強制力もない私権の制限につながるような飲食店の休業要請に協力したのは、「世間体=恥の文化」と無関係ではない。
 それ以外にも、例えば、地域の行事やPTAなど「積極的ではないが出席しなければならない」という動機づけとして、他者の目は大きく機能している。

 一方で、実は清掃活動に参加してみると、きっかけはともかく活動自体そんなに悪くない気もしてくる。
 草取りや砂ぼこりをホウキで掃いてみると、明日から通勤や通学でこの道を歩くサラリーマン、学生の姿が目に浮かぶ。
 掃除をすると気持ちがよくなるものだが、他者にも気持ちよく通ってもらいたいという思いがなんとなく芽生えてくる。

 大リーグの中継を見ていると、汚れているチームのベンチが映るときがあるが、「アメリカでは汚れたベンチを清掃して賃金をもらう人のために汚いままにしておくのだ」という理屈を耳にしたことがあって、文化の違いをまざまざと感じたことがある。
 以前、サッカーのワールドカップで自らの応援席を掃除して帰る日本のサポーターが話題になったが、おそらく欧米の諸外国では考えられない出来事だったかもしれない。
 
 日本人はビッグファイブでいうところの「協調性(同調性)」が強い人が多いのかもしれないが、いずれにせよ、こういった文化の違いが私たちの生活や人格形成に大きくかかわっているということを知っていて損はない。

 睡眠時間は少なくなったが、ちょっとだけ得をしたような気がした今朝の出来事ではあった。


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