スポーツの可能性
2月の最終日。
1か月休むことなく記事を書き続けることができた。
2月は北京冬季五輪というイベントがあったので、それに関連してスポーツの記事が多くなったかもしれない。
自分がスポーツの仕事をしているからか、どうしても北京冬季五輪が気になったのだが、今までの冬季五輪に比較しても非常に高揚した、興味がつきないオリンピックだったと思う。
それは、「過去最多のメダル数を獲得したから」という日本チームの目覚ましい活躍の話でもなければ、「様々な問題が起きたのは開催国が何か仕組んでいたから」というスキャンダルの話でもない。
一言でいえば、
「スポーツ新たな価値基準が一層明確になった」
ことが要因である。
具体的には2つある。
1つには、アートとしてのスポーツである。
これまでのスポーツは、決められた距離のタイムで勝敗を決める「速さ」や、1VS1もしくは複数VS複数で相手と戦い勝敗を決める「強さ」を競ってきたが、より美しく高難度の技を競う「アート」としてのスポーツにおける注目度が高まっている。
今回の北京冬季五輪でも、スノーボードの「ハーフパイプ」や「ビッグエア」、「スロープスタイル」、そしてスケートの「フィギュア」など自分の極限の技を披露する、その選手の姿に感動を覚えた人も少なくないであろう。
数大会前の冬季五輪では、演技を競う種目はフィギュアスケートくらいしかなかったが、ここ最近は前述のスノーボードに加え、スキーのフリースタイルなど「アート」の要素が高い種目が増えた。
これは夏季五輪でも顕著となっており、若者を中心に、
「オリンピックとは自分の技の品評会」
という、価値基準を持っている選手も少なくない。
これは、非常に好ましいことで、
「相手を欺いてやろう」
とか
「相手の弱点を突いて勝ってやろう」
とかいう小賢しいスタイルではなく、
「純粋に自分の技がどれだけ通用するか」
とか
「人に感動させられるような技を披露できるか」
とかいうスタイルに、なんとも言えない清々しさを感じるのだ。
それが、スノーボード女子「ビッグエア」の感動のシーンにつながっていったのだろう。
そして2点目は、団体戦における戦術の多様性である。
今回の冬季五輪では、ジャンプ混合団体、フリースタイルのビッグエア男女とエアリアル混合団体、スノーボードクロス混合団体、ショートトラック混合リレー、ボブスレー女子1人乗りの計7種目が新種目として追加された。
スキージャンプ、エアリアル、スノーボードクロス、ショートトラックが新たに団体競技として種目に加えられたが、団体競技は個人戦と違って、個人の力関係もさることながらチームとしての戦術の要素が強くなってくる。
スピードスケートの女子パシュートは、前回の平昌冬季五輪に日本が金メダルを獲得した競技だが、今回は決勝の最後の周回で髙木菜那選手が転倒し、惜しくも銀メダルとなった。
前回のオリンピックでは、先頭交代を繰り返しながら疲労を抑える戦法を採用しチームワークで圧勝した日本女子チームだったが、平昌五輪以降、各国で様々な戦術が編み出され、前を滑る味方を押す戦法や先頭が交代せず滑り続ける戦法など、戦術が多様化した。
各国が自分に合う戦術を取り入れる中で実力差が埋まっていき、追いかけるカナダのプレッシャーに疲労が重なり、日本は敗れてしまったが、ただ単に速さを競うだけでなく、戦術の多様化は競技の進化にもつながる。
陸上や水泳など小学校からなじみのあるスポーツもあるが、世の中には自分が体験したことのないスポーツがたくさんある。冬季五輪の種目がまさにそうだが、自分が「する」ことでスポーツの楽しさを知るほかに、アートや戦術を「見て」スポーツを楽しむ、そういったスポーツの要素も増えている。
カーリングがまさにそうだが「やったことがないけど引き込まれる」スポーツの魅力が、より多くの人に伝わったオリンピックだと感じた。
多様化と少子化で、先行き厳しいスポーツ競技もあるだろう。
資金不足に悩んでいる競技協会も多いと聞く。
それぞれの競技が価値基準の変化を踏まえながら、興味をもてるような普及活動を続けていくこと。
それがスポーツに関わる人を増やしていく。
それが、スポーツの力となる。
今起きている戦争においても、スポーツの力で何とかしようと行動しているアスリートがいる。
(twitter https://twitter.com/nikkan_soccer/status/1497053136581804034より引用)
スポーツの力をみくびってはいけない。
スポーツには人を動か力がある。
スポーツの可能性を信じて、2月の記事を締めたい。
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