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【書評】小澤征爾、兄弟と語る(小澤俊夫 小澤征爾 小澤幹雄 岩波書店)

 11代伝蔵書評100本勝負26本目
 本書は指揮者の小澤征爾が兄弟たちと小澤征爾の来歴を中心として小澤家の歴史を語り合った本です。3人とも昭和生まれですから(俊夫昭和5年生まれ、征爾昭和10年生まれ、幹雄昭和12年生まれ)期せずして?昭和史を色濃く反映した鼎談になっている点も本書の魅力の一つです。ちなみにこの鼎談は2017年、およそ月1回のペースで9回に分けて行われました。
 この物語は(僕は本書を優れた物語だと思っています)控えめに言ってもなかなかお目にかかれないかなり稀有な物語です。奇跡と言ってもいいぐらいだと思っています。
 まずは小澤征爾という世界的な指揮者の存在はもちろんですが、同時に兄弟が仲が良く、長生きしていること(長男は克己は早逝)、兄弟4人とも別々の道に進んだにも関わらず、音楽という共通項があり、造詣が深く、しかも共通体験も少なくないことなどが挙げられます。仮に有能なインタビューアーであってもここまで小澤征爾の来歴を聞き出すことは難しかったでしょうし、ましてや奇跡的な物語を紡ぎ出すのは不可能だったことでしょう。兄弟だからこそ小澤征爾もリラックスして話せるし、共通体験もあるし、逆に互いが知らなかったことを素直に驚き受け入れることができる素地があります。つまりお互いを信頼し合っているのが良くわかります。そして単に仲が良いとか信頼関係にあるだけでなく、前述したように3兄弟それぞれが音楽に造詣が深いことも本書の大きな魅力です。その中心に小澤征爾がいるのは間違いないですが、俊夫も幹雄も自分の言葉で音楽の魅力を語ります。例えば音楽の「深さ」が話題になった時、俊夫は次のように発言します。

練習やコーラスだけじゃなくてスキーに行ってみんなで休みながら雪の中で歌ったり、そういんでピッシャと音が合うんだよね。忘れられないな。雪の雪で暗くなってるのにみんなで歌って…
語り合い第5回 150頁

 小澤家で音楽の道に進んだのは征爾だけですが家族や仲間と日常的に合唱をしていてこの経験と知識が兄弟を結びつけています。家族や兄弟の過去の写真が何枚かありますがその一枚に征爾が北京の音楽祭で指揮を振った時、長男を含めた4人が全員集まり(4人とも中国生まれ)余興の舞台で合唱をしている写真があり、4人が結びついているのが何であるのか分かった気がしました。
 そしてこの4兄弟の絆の根本に父小澤開作の存在があります。小澤開作は中国時代は五族共和に感銘を受けて軍部から睨まれていました。特高警察に監視されていましたが、意に介さず、家にあげ、食事をさせていました。ついにはその担当者が小澤家のお手伝いさんと結婚までしてしまうのです。このエピソードから分かるように小澤開作はどこか憎めないキャラクターだったようです。そのキャラクターはおそらく小澤征爾に引き継がれます。運良く指揮者としてデビューをした後は多くの音楽家に愛され、世界的な指揮者に成長していきました。
本書でたびたび披露される何人かの著名な音楽家を巡るエピソードは僕のような音楽に疎い者でも興味深く読むことができます。特にロストロポーヴィチ(僕は全く知りませんでしたが旧ソビエト連邦出身の世界的なチェロスト、指揮者)のエピソードは強烈です。いくつかあるのですが、その一つを披露すると彼は熱烈な相撲ファンでした。征爾を通じて千代の富士と交流がありました。

征爾 千代の富士のお嬢さん(三女)が亡くなったとき、わざわ  
  ざチェロ持って、ヨーロッパから日本に来て、千代の富士の
  家の玄関の前でバッハ弾いて、また飛行場に行ってたって。
俊夫 すごいね。
征爾 まったく滅茶苦茶だよ。あいつのやることは
俊夫 情熱的だな。あの時もそうだね。ベルリンの壁が崩壊した
   時。崩壊して群衆が大騒ぎしているのテレビで見ていたら
       ロストロポーヴィチが現れて、ベルリンの壁の前でチェロを
       弾き出したんだよ。びっくりしたよ。
征爾 ほんとうにおもしろい人だったよ。
語り合い第4回

 その他音楽家とのエピソードも兄弟との語りの中で披露されますが、多分1番「滅茶苦茶」なのは小澤征爾なのかもしれません。サンフランシスコ交響楽団音楽監督兼ボストン交響楽団音楽監督というのはどうもあり得ないことの様です。さらにウィーン、パリ、そして日本でも活動することは相当の激務でやや自重気味に自ら「こんな人は2度と出ない」と言っています。
いずれにせよ魅力に溢れた物語です。本書を読むことで音楽ファンは彼の音楽に対する情熱が家族や兄弟達に支えられてていることを知ることになるでしょう。そして例えば僕のような特別に音楽ファンでなくても家族の物語として楽しめますし、もしかしたら音楽そのものにも興味を持つかもしれません。

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