冷たい方程式とハーバー・ボッシュ法
『冷たい方程式』という短編小説がトム・ゴドウィンという人物によって書かれている。ハードSFの試金石として有名な短編小説なので、一度読んでみるとよいだろう。
この『冷たい方程式』には同様のシチュエーションを描いた様々な別解として、方程式もの、と呼ばれる無数の小説や漫画が存在する。どれも個性あふれる解を示すものばかりだ。えてして幸福な結末になることが多いのは、元の『冷たい方程式』がカルネアデスの板の問いを行う、いわゆるバッドエンドに終わるからだろう。人は誰もが幸福であることを望むものである。
『冷たい方程式』の本質は、「人が生きるには最低限必要な物資が決まっているため、物資が束縛されている場合は物資に人の数を揃えなければならない」という点にこそある。
そして、かつては人間も『冷たい方程式』に完全に従って生きていた。農業に使うための窒素を空気から取り出す手段がなかったからだ。あらゆる土地にはその土地に含まれる養分に依存する「生産力」という絶対の数字があり、その数字が維持できる人間を常に維持し続けるためにひたすら戦い、農作物を収穫し、土地を切り開き続けていた。中世の煉獄はそのまま冷たい方程式の煉獄であったのだ。
それを覆したのは、実用化されたハーバー・ボッシュ法である。この強力無比な技術によって肥料をほぼ無制限に作れるようになった(火薬もほぼ無制限に作れるようになったが、それについてはここでは語らない)ことで、人類は『冷たい方程式』の束縛を受けながらも、必要量を大きく上回る作物を得ることに成功し、そして大量の人口と沢山の幸福な人生を獲得するに至ったのだ。本当の意味で世界を変えうるのは言葉ではなく、テクノロジーだけなのである。
だが、ハーバー・ボッシュ法があってもなお『冷たい方程式』は健在である。我ら人類はテクノロジーの歩みを決して止めることはできない。我らは薄氷の上に常に生きているのだ。
ありがとうございます。