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3.11 #私が私にできること〈2021〉

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から今日(2021年3月11日)で10年です。確認されている死者と行方不明者は合わせて18000人超、震災関連死を含めると22200人となります。

昨年、一昨年にわたってこの日にnoteを更新してきました。基本的には被災した東北地方に行ってほしいというスタンスで、自分自身が高校3年生の時に訪問して感じたことをベースに書いてきました。(気になる方はそちらもチェックしてみてください)昨年のnote「3.11 百考は一行に如かず」では、そのような想いをかなり前面に記していたと思います。

二度目の東北地方訪問

昨年11月上旬。私は福島県双葉町、宮城県気仙沼市・南三陸町、岩手県陸前高田市を訪れました。二度目の東北訪問。きっかけは同年夏にニュースで双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館するという報道でした。双葉町には津波などで大きな被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所があり、今も街のほとんどが帰宅困難区域に指定されています。昨年春にJR双葉駅とその周辺が帰宅困難区域の指定から解除され、そのエリアに伝承館はオープンしました。

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その他にも岩手県に人生ではじめて上陸し、奇跡の一本松というモニュメントをみたり、2度目の気仙沼市・南三陸町では高校生の頃に訪れた際に見た景色と比べることができました。

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画像 岩手・陸前高田市『奇跡の一本松』

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画像上 2018年7月14日、画像下 2020年11月1日(宮城・南三陸町)

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画像上 2018年7月15日、画像下 2020年11月1日(宮城・気仙沼市)

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10年を迎えた東北には、様々な伝承施設が完成し、震災の被害をだれもが知ることができるようになりつつあります。

毎年のような発信を・・・

この経験をもとに昨年までのように発信していこう、と思い3カ月ほど準備を進めてきました。しかし、そんな自分の考えを揺るがす出来事が起こります。

2021年2月13日の夜、福島県と宮城県で最大震度6強を観測する地震が発生しました。幸いにも津波は発生しなかったものの、東北新幹線など、様々な被害が報告されました。気象庁は14日深夜に行った記者会見で、この地震が「東北地方太平洋沖地震の余震」であると発表。10年の月日が経とうとしている大震災の余震が震度6強という強さを持つことへ驚き、同時に「まだ終わっていないんだ」という感覚が生まれ(てしまい)ました。

このような捉え方は、「まだ大きな余震が起こる可能性がある」「津波が起こるかもしれない」のような東北を訪れる上での懸念材料となると私は感じ、同時に、そのような状況で「現地に行って欲しい」と発信するのは少し逸れてるなと思うようになったのです。

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なにを伝えれば良いのか。

そう思ったとき、じゃあ何を伝えればいいのか、わたしから何を発信できるのか、というのを考えるようになりました。もう被災地は安全ですよ、というのは私の口からは言えません。

東日本大震災のことを忘れてはいけないというのは大前提に、この時期だからこそ必要なことは何だろうか、と考えました。その結果出た答えが「#私が私にできること」というメッセージです。

災害がいつ起こってもおかしくない日本に住む自分たちが、まず最初にその運命や困難から命を守るのは自分自身であること。それを自覚し、私にできる対策や減災方法を考える。3月11日は震災を思い出すだけでなく、そのような想いを持つきっかけとなる日になるべきだと私は伝えたいのです。

#私が私にできること

何があっても、明日へ、明後日へ。
昇る陽と沈む陽、空を覆う青空、曇り空、雨空、星空、そして風を感じることができる“日常”を続けるため、私たちができることはなんだろう。

考えてみてください。高木大地でした。

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昨年までの記事⇩

All photos by TAKAKI Daichi

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