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記録:年明けに絶望した話

2024年、元日。

私は、地元・大阪のガストで読書をしていた。年始はどこもお店が閉まっているし、家ですることもない。そういう想いで、いつも通りの休日と同じようにファミレスで長居していた。正月だしドリンクバーだけでなく山盛りポテトフライを注文する。ポテトを一通り食べて、読まないといけない本に目を通していた時だった。


初動対応

NHKニュース・防災アプリの通知が表示される。震度5強という文字。場所は能登地方。元日だというのに強い地震。ただ、有感地震が頻繁に発生しているエリアだから、そこまで大きな驚きというものはなかった。

それでも、NHKは報道番組に切り替えるだろうと思い、スマホでNHKプラスを視聴する。報道センターから16時06分ごろに発生した地震の詳細と、地震発生時の珠洲市や輪島市の様子が流れた。

その数分後の16時10分、再び緊急地震速報が発表された。エリアが北陸だけでなく長野や東北、関東、近畿にも広がっていく。しばらくすると私のいる場所でも揺れを感じた。地面がガタガタと震えるというより、ゆらゆらと揺れるような感じ。店内の照明も振り子のように揺れていた。

能登地方で最大震度7を観測する大地震が発生した。私の心がパニック状態になったのは、すぐさま津波警報と津波注意報が発令された時であった。能登地方を震源とする地震で津波情報が出た記憶がなかった。津波注意報の範囲には近畿地方(兵庫県北部)も含まれており、これは大災害になるかもしれないと受け止めた。

私自身が知っている限りの正確な情報を、できる限り多くの人に発信した。その後、一部の地域では津波警報が大津波警報に切り替わり、津波警報と津波注意報の範囲が拡大された。東日本大震災の津波の景色がよぎった。


いつも通り、発信を

私自身が「発災時に発信がうるさくなる人」である自覚はある。

これまでの発信は「"自分たちの環境が常に災害と隣り合わせであること" を頭の隅っこに留めておいてほしい」という防災・減災を願う想いだけが原動力となっているわけではない。「私自身の人間像を把握してほしい」というかなり気色の悪い承認欲求及び自己顕示欲が生みだした発信でもあった。

今回の災害は、私自身が「うるさくなる人」になって最大の規模であった。最大震度7を観測したのは2018年の北海道胆振東部地震以来、大津波警報が発令されたのは2011年の東日本大震災以来となる。

どのような発信をすればいいか分からなかった。

とにかく「地震が起こったこと」「大津波警報を含めた津波情報が発表されていること」の発信(更新)を続けた。私の投稿を見ることができる人のほとんどにとって、この災害は直接的な関係がないかもしれない。ただ、今日は元日。帰省や旅行をしている人もいるかもしれないと思った。


溢れる情報を選別する

その後は自分にとって役立つであろう情報を知るだけでなく、必要に応じて発信することができるようにX(旧Twitter)で投稿を調べた。SNS上には、今回の地震のメカニズム、揺れの大きさ(加速度)、被害を受けたであろう場所の画像、ハッシュタグを用いて救助を求める投稿などで溢れていた。

これらを私自身が改めて発信するべきではない、ということは経験則で何となく分かった。こんなネガティブな発信をしたところで、閲覧者がイメージする「絶望という感情の解像度」が高くなるだけだ。インプレッションを稼ぐことを目的とした発信もあったため、情報の信憑性も高くなかった。

こういう情報から意識的に距離を置いている人もいるだろうから、曖昧かつ感情的になる可能性があると思った情報の発信は控えた。同時に私自身が発信している情報が正確なものであることを示した上で、何かあった時のために「発信は続ける」ことを示した。


絶望の解像度、高まる

目の前で起こっている事象から目を離してはいけない。状況は刻々と変化するなかで、私はリアルタイムな情報を受け止めたいし発信したい。正確な情報を選別するためには全体の流れを把握しておく必要がある。そういう気持ちでNHKの報道やXを見ていた。

振り返れば、情報を発信する時に作動する「この情報は発信すべきかそうでないか」という私自身の中にあるセンサーのようなものは(実際どう受け止められたかについては改めて考えるとして)正常に作動していたと思う。

ただ、「私自身が能動的に情報を拾いに行く活動」については、私自身で制御することが出来なかった。現地の状況を伝えるメディア、災害のメカニズムや規模の大きさを科学的に分析する専門家、NHKで高い頻度で響く緊急地震速報の不協和音。アナウンサーの声は、ただ冷静に対応しているはずなのに「(あぁ、また来たのか)という絶望を感じる声」に聞こえた。

現実を目に焼き付けなければならないという想いが、いつの間にか私自身がイメージする「絶望の解像度」を高くしたのだ。そして私自身はその変化に気付かなかった。


絶望している自分に気付く

その後、この絶望は「この国は大丈夫なのか」とか「今年は大丈夫なのか」といったような感覚に化ける。

別に開催を検討する権限があるわけでもないし、災害そのものとは直接の関係がないのにも関わらず「次の日の箱根駅伝は開催しない方が良いのではないか」とか思ってしまう。

発災当日(元日)の午後11時ごろ。震度速報の誤発信(実際は震度3であったが震度7の速報が発信された)が発生した。その時「気象庁まで誤報を出してしまったらこの国は終わりだよ」なんてことを思った。

そんな感情を抱きながらXを見ると、想定外の反応で溢れていた。

「この状況で気象庁を批判するのはどうなんだ」「万が一があるから震度情報を発信したのだろう」「逆だった(実際よりも低い震度が誤って発信されていた)時の事をよく考えてみろ」など。

私自身の感情が世間の感情と離れていることを知った時、いまの私には冷静さが皆無であることに気付いた。

この時、メディアから距離をとることを決めた。気付いた時には、疲労困憊の状態だった。そのせいか翌日以降、しっかり体調を崩してしまった。


勝手に因果を結びつけるように

身体が絶不調の中、私は家族と共に初詣の旅に出かけた。かつてないほど車の中で熟睡したから、おそらく眠りが浅かったのだろう。

一夜明けないと被害の全容は掴めないと思っていたため、朝のメディアの発信はしっかり見た。NHKニュース・防災アプリの地震速報の通知は30分に1回くらいの頻度で表示される。被災地は常に揺れているようなものだ。

しかし、想像以上に「全容」が明らかになっていないと受け止めた。それだけ災害の規模が大きいのだろう、アクセスに制限のかかる半島という地理的要因も影響しているのだろう、と感じた。

私は今年本厄を迎えた。元日から災害が起こり、私自身も体調を崩す。その時の私は「私が厄年だから、地震が起こり、体調を崩した」なんて馬鹿げたことを本気で思った。アホか、と妹にも怒られた。いま思うと本気で狂っていると思う。神様にでもなったつもりなのか、と思う。


再び訪れる絶望

初詣を終え、夜になった。宿泊するホテルでNHKの報道を見ていると、とつぜん炎に包まれた中継画面が映し出された。アナウンサーは「映像は羽田空港の現在の様子です」と伝える。

その後、ニュース速報が流れる。「羽田空港滑走路付近で火災」。落ち着いていたはずの絶望が再びやってくる。映像が切り替わると日本航空の飛行機が炎上している。日本の航空会社の飛行機がここまで炎上している中継映像は初めて見たと思う。

乗客と乗員の避難は完了済みという情報、海上保安庁の機体と衝突したという情報・・・。感情がぐるんぐるんする。状況が落ち着いたら災害報道に戻り、翌日以降には航空機事故の詳細が徐々に明らかになっていく。「原因」ではなく「犯人」を探すような報道に対して怒りの感情を抱く人も一定数いるように感じた。


・・・


それからというもの・・・

1月3日には自宅である長崎県に戻りました。体調不良といえる状態からは回復し、普段通り生活を送っています。不健康な状態でもないと思います。この記録を書いているのは、約10日後の1月14日です。

ただ、まだ絶望感の強い年始モードから脱することが出来ていません。明日で発災から2週間という時間が経過するなんて信じられない・・・。

現状、ネガティブな情報ばかりに気持ちが揺れます。そもそも2024年という1年そのものへの印象がマイナスなので、事象の大小問わず「まぁ2024年だからなぁ」と、結びつけてしまっている状況。

この「まぁ2024年だからなぁ」という因果の結び付けかたは結構危険な意識なのだろうなとも思っていて。年が変わらない限りポジティブな方向へ解消されない呪いのようなものだから。


さいごに

反省点はあります。
目の前の状況が呼び起こす悲観的な出来事を全て結び付けてしまったこと。そうして膨らんだ悲観的な感情に私自身が飲み込まれてしまったこと。そして、その対処が分からなかった(今でも分からない)こと。

1月4日あたりに、このような投稿、報道が私のタイムラインに流れてきました。日常を楽しむことが出来なかったし、今も楽しめていないなぁ、と思います。

全く楽しくないのか、と言われるとそういうわけではないです。ただエンタメを通して得られる楽しい記憶は非日常のセカイに保存され、悲しい記憶だけが日常のセカイに居座っている。なので現状、日常はそんなに楽しくない。

そういった気持ちを切り替えるために、いま文字に起こしているわけです。


だから今は、楽に過ごして、楽しくしてくれる人を頼って、よく寝るのが良いんだと思っています。こういうことって得意じゃないんだけど。まぁボチボチ。色々誘ってください。

年始の記憶。忘れたくはないけど、リフレッシュはしたい。
背負ってるカバンそのものを買い替えるような感じで。

こういう時に、悲観的な出来事から距離をとって楽しめるようになることが今年のちょっとした目標です。自分ひとりで対処するんじゃなくて、誰かに助けを求めるというか。友人作りやコミュニケーション能力を高めるところから始めないといけない気が・・・。毎年言ってる気がするなぁ。

改めまして、2024年もよろしくお願いします。

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