私が「私」を使う理由

長々と書きそうなので、だらだらと書けるここに書いていこうと思う。使い方を見ない人だから何もわからん状態で書いていく。

ここをわざわざ見に来る人っていうのは暇だから読み物として覗きに来た人か、本当に私のことが気になっている人くらいだろうか。そんな人が存在するほど私は大した人じゃないのはわかってるよ。でも、ありがとう。

ただ、ここでする話は死にたいスイッチが入って吐き出すものなのでこれを見て気分を害してしまった方にはすみません許してください。

私たちの世代は小さなころからインターネットというものが身近に存在し、簡単に世界に繋がることができた。それは誰でも、どこにいてもつながることができる素晴らしい技術。何年前だったか、友人間でとあるオンラインゲームが流行りました。私の原点は実はもう少し前なのですが、「他人とつながった」のはこのころが初めてだったのでここから話しましょう。これは私の昔話です。

毎日のようにゲームにログインし、僕は毎日のように友人たちと遊んでいました。友人つながりで知らない人とも仲良くなったりもしました。

そして、オンラインゲームだけではなく、その企業はブログというサービスも提供していました。今ではもうほとんど聞きませんね。僕はプラグインやらなんやらを調べて日々のどうだっていいことを毎日書いていた。くだらない。本当に。バカみたいな記事。

そしてもうひとつ。僕はそのころ好きなものがあった。あの頃は「好き」を全力で追いかけていた。私の「好き」がわからなくなってしまった話はまたいつか。その「好き」のイベントが開かれていることを知った僕はそのイベントに参加して「好き」の仲間を増やした。

それからSNSを始めました。その「好き」を追いかけるため、「好き」を共有するため、「好き」を作るために。SNSでは本当にいろんな人と出会った。「好き」の対象は変わりつつも、イベントに参加して、交流して、また遊んで。それがしばらく続いた。

だけど。変わらないものなんてそんなに存在しない。

少しだけ、現実の話に焦点を当てよう。

僕は愕然とした。進学して「現実」を見せられた。

自慢ではないが、僕の出身はとてもいい環境だった。仲が良く、問題を起こさない、言われたことを守る。良い子がたくさんの学校。

とは聞こえのいいが、社会の汚さを知らない温室育ち。井の中の蛙。田舎者。ここにいるヒトの形をしたなにか、別の生命体、ヒトモドキ、倫理観の欠けたモノ、常識を知らないモノを見たのは初めてだった。僕は出身校のような人間、SNSやブログ世界にいた人が世界にたくさんいると思い込んでいた。僕を囲んでいたのはいつだって優しい人ばかりだった。勝手に思い込んでいただけ。

理想との乖離に毎日吐きそうになりながら生きた。生きていたくなかったが死にたくもなかった。右腕には切り傷が増えていた。周りの友人に心配をかけたくないから明るく振舞った。僕は僕じゃない僕が大嫌いだった。

それでもSNSは覗いていた。確か絵をかいていたと思う。そのころ、同じ自傷癖をもって、同じ「好き」の絵を描く友人がいた。毎日その人は絵をかいていた。確か、絵のお仕事もやってたかもしれない。僕はその人が正直、憧れだった。

違う。貴方は悪くない。

不穏な話題だった。できれば二人とも関わりたくない。自傷癖の僕たちが関わりたくないような。

どうして。

生意気な僕は不用意な発言で貴方を傷つけた。

僕は貴方を殺してしまった。

僕は僕を殺した。


私は「好き」を作るために生まれた。

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