不合格体験記という名の自分語り

本投稿には自慢話も含まれているため気持ち悪いと感じる方は読むのを控えていただきたい。

受験は中学受験以来であり6年ぶりだ。中学受験時の志望校はラ・サール中学校。小2から英進館という塾に通いそれなりに勉強した。結果的にラサールには及ばなかった。ラサールクラスの最底辺にいた私は単純に努力不足だった。だが青雲、弘学館、早稲田佐賀、海星の4校に合格して海星に通うことになった。私は新入生を代表して入学式で挨拶をした。入学時は東大理三を志望しており、それを馬鹿にされるような成績でもなかった。ただ入学式で総代挨拶という悪目立ちをし、また合格したわけでもないのに「ラサール中を受験した」という意味のないプライドが邪魔をし、ここなら余裕だと真面目に勉強をしなかった。その結果、一年間で30位ほど順位を落とした。うさぎと亀とはこういう話なのかもしれない。ようやく危機感を感じ始め、学年一位だった友達を勝手にライバル視した。中2の最後の模試で学年2位だった。彼とは一点差。悔しかったがなぜか満足してしまう自分がいた。本当に情けない。その後、言い訳がましいが中高一貫特有の中だるみ期に入る。前年あれだけやった勉強を放棄。部活と遊ぶことで時間を浪費していった。部活では成績を残すことができたが勉強は何も成績を残せず。気づけば東大志望ですらなくなっていた。

高校に入ったら心機一転しようと考えた。東進に真面目に行くようになり、校舎上位の受講数をこなした。成果は出始め、駿台模試で東工大C判定程度まで成績は伸びてきていた。このまま続ければ良かったのだがコロナが流行り休校。一日中家にいると勉強になかなか集中できないし、なにより鬱になってしまった。休校が明けても勉強習慣がなかなか戻らず、あっという間に高校二年生を終えてしまった。ここでの志望校は地方国立医学部の地域枠。受験生になってもなかなか自覚が芽生えず最低限の勉強をこなしていただけだった。平均勉強時間は10時間に及ばなかった。どうしようもなかったが東大志望に変えてみたら自分も変わるかもしれないと思い志望校を東大に変更。それまでよりも勉強に励んだ。そのころスタプラを始めて自分より優秀な人たちの勉強時間を見てモチベにしていた。だがTwitterに侵食されていき、睡眠時間を削って勉強していたため体調を崩してしまう。自律神経失調症と診断され学校にすら行けなかった。2か月間勉強ができなかずみるみる成績を落とした。結局受験勉強を本格的に再開できたのは12月だった。二次試験の対策などできなかった。結果、共通テスト本番は64%で東大はもちろん一度は医学部も諦めた。親から現役で行ってくれと懇願されていたからだ。本当に親には申し訳なかった。共通テストを終えて自己採点が悪かったことを親に伝えると実は一浪までならいいと言われた。これが現役で医学部を受験しようと思ったきっかけだった。だが実力不足は拭えない。長崎大学医学部地域枠、早稲田大学、東京理科大学、後期の山梨大学医学部(足切り)にすべて不合格。もう後がなくなった。前期の岡山大学はなんとか足切り回避したがボーダーの点数から-50点。過去問を解いても合格点は一度も上回らなかった。医学部に出願したことを何回も後悔した。本番でも手ごたえは全くなかったし、不合格が目に見えてしまうと思って自己採点はしなかった。受かっててくれと毎日祈りながら合格発表を待っていた。


岡山大学医学部医学科不合格。自分の受験番号は無かった。


浪人が確定してしまった。受かるとは思ってはいなかったが、不合格を目の当たりにするとやはり悔しい。そんななか次々と現役で合格していくクラスメイトを見て悔しくて仕方がなかった。医学部受験はそんなに簡単なことじゃない。分かっていたけど全落ちして改めて感じている。練習でできないことが本番でできるなんてことはなかった。来年こそは絶対に受かりたい。病気とはまだまだ向き合いながらではあるが、来年のこの時期にまた不合格体験記というブログを書かなくて済むように勉強をする。


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