脱穀決定

【クンター流カレン族生活体験 その⑧】

<棚田で稲刈り>

 朝夕は、急に冷え込むようになってきた11月初旬。わが村はいま、稲刈りの真っ最中である。

 雨季が終わり、爽やかな快晴が続くようになると、村人たちは田植えの場合と同様に各自の日取りを決めて順繰りに手伝い合う。

 目の先が見えないほどに濃い朝靄が村を覆う朝8時前。手に手に稲刈り鎌を持ち、麦藁帽子に長靴といういでたちの村の衆が続々と川向こうの棚田に向かってゆく。

 年輩の男衆は手織りの貫頭衣によれよれのズボン、女衆は色柄豊かな貫頭衣に巻きスカートという典型的なカレン族スタイルなのだが、さすがに若い世代は半袖Tシャツの上に日除けの長袖シャツやジャージを羽織るといった今風の格好が目立つ。

 作業は、その日の雇い主が率先して始め、これを合図に応援の村人たちがのんびりと動き始める。雇い主とはいっても給金を出すわけではない。

 密造のラオカオ(米焼酎)や強壮ドリンク、清涼飲料水、昼のおかずなどをふんだんに振る舞う風習だ。昼飯用の米や簡単なおかずは、各自が用意して持参するのが礼儀でもある。

 日本では稲株の根元近くで刈り取るのが普通だが、当地では三〇センチくらいも根元を残す。刈り取ったら数束をこの根元に載せ、穂先が地面に着かないようにして乾燥させるのである。余計な干場スペースを取れない棚田ならではの知恵である。

 それにしても、物凄いスピードだ。持病の腰痛が悪化する数年前までは私も手伝っていたのだが、刈り始めは横一線だったというのに、数分後に腰を伸ばすとはるか後方にひとり取り残されて情けない思いをしたものだった。

 かといって、全員が黙々と鎌を入れているわけではない。絶えず賑やかな喋り声が飛び交い、笑い声も絶えない。単調な重労働をできるだけ楽しくこなそうという昔からの風習なのだろうが、とりわけ喜ばれるのが罪のない下ネタであるらしい。

 そこで、「村一番の優雅な貴婦人」と目されているわが嫁などは、引っ張りだこの人気者となる。

 ナッケー!(カレン語で困ったもんだ)

稲刈り遠望

 さて、刈り取った稲束を二~三日天日にさらして乾燥が済むと、次は脱穀である。まずは、一番広い田んぼにブルーシートを広げ、その周囲に刈り取った稲束を積み上げる。

 竹ひごで結わいた数束の稲は意外に重く、急斜面に拓かれた棚田に散ってこれを集め回り、頭にかぶるように背負って細い畦道を運ぶ作業は、なかなかに甘くない。数往復もすれば、すぐに背中と腰がきしみ出す。

 積み上げが済むと、シートの真ん中に置いた古タイヤや簀子状の板台を目がけ、「叩き棒」に挟んだ稲穂をひたすら叩きつける。

 この叩き棒は、二本の竹棒の先を三〇センチほどの凧糸のような固い紐でつないだものである。この紐で二~三束の根元をひと巻きして絞り込み、頭上に持ち上げて振り下ろす。これを数回繰り返し、籾がすべて飛び散ったことを確かめると、そのまま頭上に振り上げつつ体を回転させて外へ押し出すようにする。

 と、ああら不思議、脱穀済みの藁束は放物線を描きながら高く積まれた稲束の向こうにスーッと消えてゆくのである。一連の動きには、まったく無駄がない。

 村の衆は両手を広げた状態で竹棒の手元を握り、体の正面で叩きつけている。私もこれを真似てみたのだが、どうもインパクトの瞬間に力がこもらない。そこで、高校時代に習い覚えた剣道の素振りを応用してみた。

 左足を引いた下段の構えから上段に振りかぶり、剣先、もとい稲穂が天頂に達した位置で力を貯めて一気に降り降ろす。これはかなり効果的で村の衆にも褒められたが、最後の藁束放り投げは紐をはずすタイミングが難しく、ことごとく失敗した。

 さて、脱穀が済むと天日のもとで再び数日乾燥させる。すでに乾季に入ったとはいえ、なにせ標高千メートルに近い山岳地帯だ。時おり雲行きが怪しくなると、やりかけの脱穀作業は村人に再招集をかけて、夜間にまで持ち越されることになる。

 そして、乾燥が済むとこれを飼料袋に詰め込み、棚田から村へと運び込む。荷台のあるピックアップ・トラックが田んぼの側まで入れるところはいいが、場所によっては30キロに近い袋を背負って川を渡ったりもしなければならない。   

 すべては、機械に頼ることのない手作業。自分の肉体だけが頼りの重労働だ。それだけに、無事自宅の米蔵に新米を収め終えたあとの村の衆の顔は、言い様のない安堵と充足感で満たされるのである。

                        (次号に続く)

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