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平凡人応援歌

「人を狂わせるバイトの噂」

後輩の金子が時給2600円のバイトを始めたらしい。そんな噂を耳にしたのはちょうど1年前の10月ごろだった。
詳しく聞くとそれは病院の夜間受付のバイトで、なんでも月4回入るだけで扶養を超えるという聞いたこともないくらい割の良いバイトらしい。

確かにその頃の金子は様子がおかしいんじゃないかと思うくらい羽振りが良かった。
通販サイトで見つけた5万円のギラギラした紫の財布を衝動買いしたかと思えば、使いはじめてから1ヶ月も経たないうちに紫の色が少し剥げてるのを見つけると、お札を入れるポケットに噛んでいたガムを吐き捨て「そろそろ新しい財布に買い換えますわ」と言い放った。

千葉の田舎でトウモロコシ畑に囲まれながら生まれ育った純朴な少年をここまで豹変させたことからも、このバイトがいかに破格なものかが窺える。

僕はすぐに金子に連絡して自分にもそのバイト先を紹介してくれと頼んだが、残念ながら先約がいた。先輩の下島くんだ。確かに下島くんは来年から芸人の道へ進むためお金が必要かもしれないが、僕も親からの仕送りを止められてお金に困っていたので、どうにか下島くんより先にできないかと金子に頼みこんだ。
しつこく何度もお願いした結果、金子も渋々折れて、下島くんには内緒で僕が先に紹介してもらえることになった。

ただ最後にひとつだけと、金子が確認してきた。

「仕事に慣れるまではまあまあ大変ですけど、半谷さん大丈夫ですよね?」

もちろん大丈夫と即答したが、内心はドキドキしていた。僕は全くと言っていいほど仕事ができない。

「失敗続きの浪人時代」

浪人時代に地元の前橋にあるピザーラでデリバリーのバイトをしていたことがある。
そこで1ヶ月間、先輩ドライバーの後をついていって業務を学ぶ研修期間を終え、いざ自分1人でのデリバリーの仕事が始まった初日、「下新田」という市内の町からピザの注文が入り、そこへ届けるまで本来なら10分もかからなかったはずなのだが、仕事ができない僕は隣の桐生市にある「下新田」を目指し片道2時間近い道のりをピザーラバイクで爆走した。
出発から30分が過ぎたころに店のオーナーから電話がかかってきた。

「半谷くん今どこにいる?」
「届け先に向かってます」
「あとどのくらいかかる?」
「1時間くらいだと思います」
「は?」
「下新田って桐生のですよね?」
「…」

それから電話の向こうのオーナーは必死に怒りを抑えて声を震わせながら、僕に今すぐ店に帰ってくるように言った。僕の頭の中にはこのままバイクごとパクって飛ぶという選択肢がチラついていた。店に戻るとドアの前で180cm以上あるオーナーが仁王立ちをしていた。

「すいませんでした」
「なんで桐生の人がこの店に注文すると思うの?」
「考えが甘かったです」
「今日はもう帰っていいから」

僕は泣きながらトボトボと帰り道を歩き、家のドアの前で涙を全部拭いてからドアを開け、明るい声で「ただいまー」と言った。「バイトどうだった?」と聞いてきた母に「んーまあ楽だけど人数的にそんなシフト入れなそうだから辞めるかもなぁ」と返した。その日の夜にオーナーに「学問に集中したいので辞めます」とLINEを送ってすぐブロックした。

また、僕はただでさえ無能な上に、人並外れたサボり癖も持ち合わせている。
バイトが続けられないことがわかったので、単発バイトに行ったりもした。
大きい工場で朝から昼までピッキング作業を行うという内容だった。そこで社員のおじさんAにプラスチック製の箱を分解するように指示を受けた僕は、重い荷物運びよりもこっちのほうが楽だからラッキーと思いながらその単純作業をこなしていたが、それを見たおじさんBが「その箱は分解しちゃダメなやつだよ。もう1回組み立てて」と言ってきた。僕はおじさんAに指示されたんだと説明したが、「おじさんAは頭がおかしいからあいつの言うことは聞くな」と言われた。それから僕はまた30分くらいかけて箱を組み立てておじさんAに報告に行くと「おじさんBの言うことは聞くな。もう1回分解して」と言われ、これは使えるぞと思った僕は、この分解→組み立てループを何回も何回も繰り返し、気づけば1ミリも工場に貢献しないままバイトの時間が終わった。

楽な仕事だったなと思いながら帰る準備をしていると、おじさんAに話しかけられた。なぜかこいつの目には僕が敵対するおじさんBに立ち向かい真面目に作業をこなす若者に見えたようで「給料出すから午後も働いていけよ」と言われた。僕は喜んで承諾した。
工場がバカデカい割に人が少なかったため、工場内にはほとんど人が来ない場所があり、僕はそこに大人1人が入れる溝を見つけたので午後の時間は永遠にその溝に隠れて誰にも見つからないでくれと願っていたらいつの間にか終わっていた。その工場は午前中は箱を分解しては組み立て、午後に闇の中へと姿をくらませた男に1万2000円を支払うことになった。

こんな無能×サボリ癖と二重の爆弾を抱えた僕をこれから金子はバイト先に紹介することになったが、もちろんこんな過去を知られたら紹介してもらえなくなるので金子には隠していた。結果から言えば僕はこの病院バイトを1日で飛び、金子は壊れたロボットのように各所にヘコヘコと頭を下げることになるのだが、まだこの時の金子はそれを知る由もなく「バイト先に知り合いが増えて嬉しいっす!」とか言っていた。

「ドキドキの面接」

紹介したのでそのうち向こうから電話がかかってくると金子に言われたが、うっかりその電話を5回無視してしまい、“片鱗”を見せつけた。
こっちから電話するのもアレだしこのままブッチしようかこと考えていた矢先に金子の「俺の立場考えてください!」という言葉で正気に戻り、6回目の電話に出た。そしてようやく面接の日取りが決まった。

面接は朝9時からになったのだが、起きれるわけもないので朝まで麻雀をしてから面接に行くことにした。その麻雀メンバーの中に金子もいたので、面接はどんな感じか聞いてみると金子は「紹介は絶対通るんで大丈夫です!」の一点張り。僕は不安だったのでどんな質問されるかとかを知りたいのに何を聞いても金子は大丈夫です、大丈夫です。だんだん腹が立ってきた僕はじゃあこれでも大丈夫なんだなと、その場で、舐めてるのか舐めてないのかギリギリわからない顔の写真を撮って履歴書の顔写真欄に貼り付けてやった。

金子は「勘弁してください」と懇願していた

しかし、面接はほぼ問題なく終わった。優しそうなおじさんが面接してくれて、例の顔写真が貼ってある履歴書もスルーだった。
僕はとりあえずなんかアピールしとこうと思って、自分のバイトとは関係ない他部署の業務にまで首を突っ込んで質問をしたりして、向こうからしたらやる気だけはある青年に写ったと思う。面接の最後には「君とはなんとなくうまくやっていけそうな気がする」とまで言ってくれた。これからこの病院に起こる惨劇なんて知りもしない、曇りのない笑顔だった。

「いざ数年ぶりのバイトへ!」

そしてついにバイトの日がやってきた。僕は言われた通り18:30に病院へ到着した。職場である受付に向かうとそこには20代くらいの若い男と、40代くらいの気の弱そうなおじさんの2人が働いていた。こいつらが先輩になるのかと思いながら僕は「今日から入りました半谷です」と挨拶をすると2人はなぜかキョトンとした顔をしていた。しばらく間があってようやく若い男が口を開いた。
「もしかして16:30から入ってる新しいバイトの子?」

え?

まずい。いきなりやらかした。

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