「ノースマン 導かれし復讐者」感想
遅ればせながら「ノースマン 導かれし復讐者」を観た。いきなり話は逸れるが、最近僕の文章の書き出しは「遅ればせながら」とか「周回遅れだが」とかが、やたら多い気がする。きっとこれは怠惰だ。別に僕は映画も何も好きじゃないのかもしれない。
なんて話をし出すと3日ぐらい延々と話してしまいそうなので、「ノースマン」に話を戻すと、大変に面白い映画だった。ロバート・エガースの映画は毎回尖った作りで面白いのだが、今回はエガース作品の中でも、群を抜いて大予算!そしてエンターテイメント!である。でありながら、本作はこれまでのエガース映画で一貫して描かれていたテーマ性を全く損なっていない。まず、この事実に驚かされた。
エガースの映画に一貫しているモチーフはズバリ「家父長的かつ男性的なコミュニティの機能不全」だと言っていい。デビュー作である「ウィッチ」では「カトリック的な概念が最上位に置かれた家父長的な家族が崩壊する様」が描かれ、「ライトハウス」では「擬似親子が閉鎖的な空間において男性的なデカチン競争を繰り広げた末に発狂する様」が描かれていた。エガースと言えば、常に「時代もの」に軸足を置いた作家であるが、今作は前2作のような「キリスト教化された時代もの」とは打って変わって、「辛うじてキリスト教化されていない時代を舞台にした『時代もの』」だ。そこで描かれるのは、神話と人間の生が密接に結びついた男性性の世界であり、それは昨今流行りの「有害な男性性」という物言いを遥かに凌駕する、「破壊的なまでの男性性」の世界だ。
エガースの映画は「時代もの」でありながら、いかようにも現代的な視点での解釈を与える余地がある。本作は昨今の映画としては珍しいぐらい、白人しか出てこない。特に男性キャラに関しては、マッチョで屈強で死をも恐れぬ「超男性」的な白人たちのオンパレードだ。そんなマッチョで屈強な白人たちが、現代的な倫理観に照らし合わせたら全く妥当性がないレベルで大暴れし、残虐と野蛮の限りを尽くす。決して彼らの葛藤が描かれないわけではない。しかし、誰が観てもいささか単純かつ、とても賢いとは思えない判断で暴れ回っては、豪快に暴力を振るう…といった行動は映画史的に見れば常に「非白人のキャラクター」が背負わされてきたという歴史がある。長きに渡り「未開の土地の土人」であったり、それこそ「ネイティブ・アメリカン」だったりは「野蛮人」としてエクスプロイトされてきた。それも白人至上主義的な価値観に基づいて。本作はそういった白人至上主義的な価値観へのカウンターだと言っていい。ヴァイキングは白人至上主義者や、右翼の白人オタクにウケがいい(特に陰性のオタクほどその実マッチョ志向だったりする、というのはあらゆる場所で見られる傾向だ)。彼らは彼らなりにヴァイキングに対するロマン(大嫌いな言葉だ)を抱いているのだろうが、どうだ!?君らが憧れを抱いてる白人共や、男性的なヒロイズムはこんなに野蛮で残酷で暴力的なんだ!単に殺し殺され、犯し犯される世界にあるのは、ヒロイズムではなく死体の山だけだ!!!という白人至上主義に対する皮肉が全編通して冴え渡っている。しかし、世の中には皮肉を皮肉として受け取れないバカが一定数存在しており、そんな連中にとっては本作で描かれたマチズモは称揚すべきものとして受け入れられているのだろう…と思うと暗い気持ちになってしまう。
一方、本作は現代的な視点で観た現代的な解釈を施せる作品でありながら、画面の中の人物たちが現代的な視点からは遥かに隔絶した価値基準によって行動しているという点に最大の美点がある。もちろん、そういった価値基準の世界にいる人間が現代から遡って「バカに違いない」なんてことを言いたいわけではなく、彼らは彼らなりにその当時の価値観に対して合理的な行動をしようとする。しかし、本作の登場人物のほとんどはマッチョで屈強な脳筋野郎共であり、そんな連中がいくら合理的な行動をしようとしたところで、「デカい声を出す」とか「ぶん殴る」とか「皆殺し」ぐらいしか状況に対処する術を持たない。そして、そういった暴力性と対極にある「狡猾さ」や「賢さ」は専ら女性陣が担当しており、超男性社会を生き抜く術として脳筋野郎共を巧みにコントロールする姿が描かれていく。
彼らが身を置く世界は「神話と接続された世界」だと言っていい。当時の人々が、いかように自分の人生と神話とを接続し、いかように自らの生を認識していたか。そういった彼ら個々人の神話との繋がり、及び認識が劇中において一種のトリップとして表現されるのは完全に正しい。しかし、この映画が上手いのは、前述したように「辛うじてキリスト教化される以前の世界」を描くことで、神話の時代は終わりを迎え、人間同士が接続することで自らの生を認識する時代の息吹を感じさせることだ。ここにエガースの生真面目さを感じずにはいられない。
本作の描いた時代の変遷を進歩と言うのであれば、現代の人間の在り方は退行と言えるかもしれない。よりカジュアルな「物語」が「神話のようなもの」になり変わる世界は退廃としか表現しようがない。現代と隔絶した人間の姿を描きながら、現代にも通ずる人間の本質を抉り出す射程の広さに驚かされる作品だった。オススメです。
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