クリスチャン2世はなぜ生きづらいのか

はじめに

私の両親はクリスチャンで、私自身母のお腹にいる時から教会に通っていました。幼い時からキリスト教の考えや教えにずっと違和感があり、今は完全に「自分には必要のないもの」として距離をとれるようになりました。そこでクリスチャン2世である自分が感じる「生きづらさ」を挙げていこうと思います。

「普通」がわからなくてつらい

クリスチャンホームに育つと、教会に通い、聖書を読み、賛美歌を歌い、お祈りをするのが「当たり前」になります。
一方で学校に通うなど社会生活を送るようになると感じるのが
一般家庭における「普通」とのギャップです。

どういったものがあるかというと、

①日本の習慣、風習がわからない
②「一般常識」との食い違いにとまどう
③日曜日の過ごし方がわからない

などが挙げられます。ひとつずつ見ていきましょう。

①日本の習慣、風習がわからない

両親ともに日本人で、海外で生活してたわけでもないのに、そんなことある?!と思われるかもしれませんが、あるんですよ。
特にわからないのが神社、お寺への参拝の仕方お盆です。
最近は御朱印を集めるのが趣味の方や、パワースポットとして神社仏閣巡りをする方がたくさんいると思いますが、クリスチャンホームではそんなのご法度。
私自身、大学に通うために県外に出た18歳になるまで初詣というものをしたことがありませんでした。
もういい歳なのに、参拝の仕方がわからなくて…一緒に行った友人にすべて教えてもらいました。

また「お盆」という言葉を認識したのも中学校に入ってから。
夏休み中の部活動の話を聞いているときに、顧問の先生が
「ここはお盆だから部活は無しね~」
と話しているのを聞いて
え、お盆って何?なんで部活ないの?
と不思議に思いました。

何よりショックだったのは、そんな風に不思議がっているのが自分一人だったということ。周りの子はみんな共通認識としてわかってたんですよね。

②「一般常識」との食い違いにとまどう

一般家庭に育った方にはピンと来ないかもしれませんが、
クリスチャンホームで育った子供にとって
「この世界は神様が創造したもの」です。
(聖書には、神様が7日間でこの世界を創り、最後に最初の人間であるアダムとイブを創ったと書かれています)

ところが学校に行くようになると、当たり前かもしれませんが、
聖書と全く違うことを教わるようになるんですね。
そして、この「聖書に書かれていないことのほうが世間的にマジョリティーである」事実にびっくりするわけです。

このように「知識」に関するギャップもありますし、食事の前にお祈りをしないなど生活習慣についての違いもあります。

③日曜日の過ごし方がわからない

私は小学校までは両親とともに、毎週教会に通っていました。
中学校にあがって部活に入ってからはほとんど教会に行かなくなりました。
高校に上がってからは完全に行かなくなりましたね。
(このことはまた別の機会に書こうと思います)

教会に行かなくなってから思ったことは
みんな日曜日に何してるんだろう?」ということでした。

それまで「日曜日=教会に行く」だったのがなくなった途端、何をしたらよいか、ほかの人たちは何をして過ごしているのか全く分からなくて焦りました。

日曜日だろうが何だろうが好きなことをして過ごせばいいのですが、当時はそれがわかりませんでした。
高校生や大学生になって、いろんな人と過ごす中で、
買い物したり、映画を観たりしているうちに
あぁ~みんな日曜日にこういう時間をすごしてるんだな~
と実感できるようになってきました。

まとめ

ここまで書いてきて実感したのは
学校などで初めて周りとのギャップに気づく、ってことです。
同世代の集団の中に入って生活することで初めて気が付くんですよね。

幸い私は宗教に関することでいじめられらたことはないのですが、
人によっては嫌な思いをしたことがある人もいるかもしれません。

この歳になって思うのですが、
「当たり前は人によって違う」んですよね。

一人ひとり違う人間だからこそ、考えも違うし、何を大切にするかも違う。
だから面白いし、素晴らしい。

小さい時からそういう考えが当たり前の教育ができて
一人ひとりがのびのびと暮らせる優しい世界になってほしいとやみません。

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