君たちはどう切るか(髪を)

髪を切りに行ったら、美容師さんと「君たちはどう生きるか」とジブリの話で盛り上がった。
美容師さん的には意味分かんなくて期待していたのとは違って好きじゃなかったんだろうなー(好きじゃないとは明言しなかったけど)というのが感じ取れて面白かった。
確かに意味わかんないもんな。「自分も『どゆことー???』って思いながら観ました」て喋って笑った。
頭のケガのために右サイドを刈り上げた眞人くんの髪型いいなーと思ってたのでそれ伝えようかと思ったけどやめた。
話してたせいか結果的にちょっと似た髪型になった。

美容師さんは紅の豚が好きとのこと。紅の豚、いいよね。
大人になってから面白さが分かる映画No.1だと思う。
エンディングの曲とエンドロールが良いよねって盛り上がった。美容師さんは毎回泣けるらしい。
調べたら「時には昔の話を」は紅の豚のために作られた曲ではなく1987年発売のアルバムに収録された曲とのこと。
あんなにマッチしてるのにあの作品用の曲じゃなかったんだという驚き。



話をした流れで「君たちはどう生きるか」についてもうちょっとだけ考えた。
作品はとても主観的なんだなと気付いた。
冒頭の火災のシーンで周りが黒くゆがんでいるのも、おばあちゃんたちが初めは不気味な得体のしれない蠢く存在に見えるのも、頭のケガの出血がおびただしすぎるのも、お父さんの目が異常にキラキラしてるのも、アオサギが恐ろしい描かれ方からちょっと愛らしい感じに変わるのも、全部眞人くんの主観によるモノの見え方なんだろうな。
主観によってモノの描き方を変えるのは、つい先日テレビ放送されてツイッターで語られたもののけ姫の裏話「モロの大きさをシーンごとに意図的に変えていた」がいいヒントになった。
アオサギに壊されたはずの木刀がトイレの物置にあって持ち上げた瞬間に崩れるのが意味分からなかったんだけど、夢か現かハッキリしない眞人くんの主観によるものかと思ったらちょっとすっきりした。実際どうだったのかはあまり関係ないんだと思う。
主観といいつつ全然語らないのは、主観たる眞人くんが自分に語りかける性格ではないんだろうということ。
千尋みたいに自我が定まっていないタイプか、あるいは言わずに押し殺すタイプか。たぶん後者。自分で抑圧している様子が読み取れるので。
この「言わなさ」はある意味でとても現実的で「人間」だなぁと改めて思った。
ナウシカは冒頭から一人でしゃべりすぎ。おかげでめっちゃ分かりやすい。




ふっくらすずめクラブの読書動画。
https://www.youtube.com/watch?v=MgmAbKZEYP0
すごく良くて感動した。元になったオモコロの記事がすごかったけど、あれが「マジ」だったんだなって。
なにより単なる読みやすいミステリじゃなくてメタミステリを持ってきて、ちゃんとリアクションを想像した上で適切な個所を抜き出して読ませたかまどの采配と胆力がすごい。
そしておそらく想像以上の打ち返しをしたみくのしんの「読書」を自分なりの全力で楽しむ力。
メタというものに対して「紙になりかけてたってことでしょ?」という発言、輝きすぎてる。スタンド能力か。ボヘミアン・ラプソディー。
自分だったら「メタだね~w」って軽く笑って読んじゃうから。あそこまで自分ごとにできない。
メタを自分に取り込む。なんかすごく逆説的で世の真実かも。
「本を読む」ということに対する貴重な資料であり研究材料になると思う。



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