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セーラー服は脱がすなよどう考えても

お得意の三日坊主が出てしまいましたが気を取り直して中学編だよ〜 ☆

それなりに自我が芽生えた12歳の俺、中学デビューするしかねえと目論むわけ。小学校時代はドブに捨てたからね。前にも書いたけど俺の通ってた小学校って良いとこの子が多かったから、ほとんどが中学受験するのよ。ね?つまりその小学校から区内の中学行くのって2割。更に同じ中学を選ぶのは1割くらい。こんなチャンス二度とねえと意気込んで中学に入学した当時70キロ級のセーラー服戦士うゆ丸でした。

いじめられないようにするにはどうしたらいいか、面白くなればいいんです。当時の俺はお笑いが大好きでね、今も好きだけど。お笑いブーム全盛期だったのもあるけどクソみたいな環境で俺を支えたのはいつでもお笑いで、お笑い番組で爆笑してるときだけはなんか救われてた。あっなんかこれ良い話っぽい!キャキャ!

中でも次長課長と野性爆弾が好きで、寝ても醒めても河本とくーちゃんのこと考えてた。思春期の黒歴史あるあるな、お笑いノート📓❣️✨みたいなの自作してたし。初めて生のお笑い観に行ったのもこの頃だったな〜母親の知り合いのコネで無料でチケット貰ってルミネ行ったんだよね。生で次長課長のコント観て嬉しくて号泣したもん。あとルミネのトイレって芸人も使うから(今は知らんけど)そこでネタ終わりの河本見かけて大好きです!って言ったら頭ポンポンしてくれたんだよ、河本超良い奴卍

当時はデブでブスで根暗でいじめられる要素満載の俺でしたがお笑いに詳しく貪欲に体を張って笑いを取りに行く面白い奴ポジションになれたおかげでいじめられることはなくなったしちゃんと友達も出来て楽しかった。

順風満帆に中学デビューを果たした俺なんだけどその一方母親はというと、前回書いたパトロンのおっさんたちの裏でちゃっかり恋愛してました。ヤリマンかよ。ヤリマンです。

ある日会わせたい人がいるんだよね〜と外食することになって、行ってみると「ハジメマシテ!リュウ(仮)デス!」みたいな片言の中国人に会わされた。リュウは中国の福建省出身で日本で働いているという料理人。その後も私の否応なしに何回か会って、あれよあれよというまに再婚、からの同居することになりました。

気付けば母親は昼の仕事も辞めて完全な専業主婦になって、すぐに妊娠が発覚。なんと一回りも年の離れた弟が出来た👶🏼

ぶっちゃけこちらとしては小学校6年間ほとんど放置だった人が突然毎日家にいて、なんか学校のことに首突っ込んできたり母親の顔してて心底ウザかったんだけど酒も飲まなくなって落ち着いてたからそれならいいかと流れに身を任せておりました。

学校は楽しかったからちゃんと行ってたんだけど、その頃くらいから俺は母親の財布から金パクったり、学校で問題起こしたり、万〇きして補導されたりするようになった。母親が落ち着いてたこともあったし困らせたかったのかね。よく分からん。もちろん帰れば母親に軽めにボコられるんだけど、妊娠中だったのとジョンがいたのもあって小学校の頃ほどの恐ろしい母親ではなくなってたからたまに反抗するくらいの余裕もあった。

あるとき中学でトイレの壁をぶち壊したことがあって(ゴリラなん?)担任から母親に連絡が入り、家に帰っていつもの感じでボコられた。中学入って初めて買ってもらった携帯も逆パカされて、ボコられた後に気付いたけど俺が大事にしてるタオルケット(当時これがないと寝れなかった)とかお笑い関係の雑誌とか必死に集めてた芸人の切り抜きとかを全部ゴミ袋に入れて捨てられてたんだよ。それまでの人生、母親に何されてもクソー!ってやり返すことなかったんだけどすげえむかついて本気で殺してやると思った。今までにない勢いで母親と取っ組み合いの喧嘩になって気付いたら母親に馬乗りになってポコスカ殴ってて、やめて!って言われてやめた。

翌日普段通りに学校に行き、下校する頃になって担任に「話があるから来い」と声をかけられた。その日は友達と秋葉原のドンキに行く約束してたから、えっ無理〜っつってその場を去ろうとしたがなんか空気的に無理だったから仕方なく友達に説明し、さっさと終わらすから待ってて〜なんて適当に言ったと思う。担任に学校の中の普段使ったことないカウンセリングルームみたいなところに連れて行かれて、入ると学年主任と副校長、それと初めて会う児童福祉士を名乗るおばちゃんがいた。

「お母さんから相談されてね。今お母さん妊娠してるでしょう?少しの間、離れて暮らしてみない?」

そう言われて、なんで俺が悪者になってんの?とか、じゃあ今までされてきた暴力の数々はなんだったの?とか、とにかくいろんな感情でぐちゃぐちゃになった。いやまあ今冷静に考えれば俺も悪いけどさ。母親に対してもめちゃくちゃ腹が立ったし、友達とドンキ行く約束どうすんだよ、とか。離れて暮らすならばーちゃん家に行きたいとも言ったけどそれは大人の事情でダメだと言われて納得いかなかったな。確かに母親と暮らすのは無理だよなァといまいちよく分からないまま児童相談所に行くことになった。


次回 児童相談所での暮らし、出会い!







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