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2024/7/25(木)の宿題:うさぎ

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる5日目。

 西崎憲さんからの出題(一部抜粋)

子供の頃、宝物はありましたか?
それが宝物でなくなったのはいつですか?

※出題全文は素敵な言葉で書かれているので『今日の宿題』で読んでほしいです。

 子供の頃大切にしていたもの、宝物と言って差し支えないと思われるものは、うさぎのぬいぐるみだった。牧場のお土産コーナーで買ったものだと思う。耳が垂れていて、頭から体にかけての後ろがオレンジ、お腹側が白のふわふわなうさぎ。他にもぬいぐるみは持っていたけれど、うさぎのことは特に気に入っていた。一度左耳がちぎれかけたことがあったが、母に直してもらって、それもあって左耳だけちょこんと内側が見えている箇所があってかわいかった。

 うさぎのぬいぐるみを特にかわいがったのは小学生の頃だが、大切に思っているのは中学生になっても変わらなかった。そんなある日、英語の宿題で自分の宝物について書く宿題が出た。夏休みの絵日記みたいに、上半分はイラストを描くスペース、下半分は英文を書くための罫線が引かれていた。
 正直、宝物は何かと聞かれてすぐにこれですと思い浮かぶものはなかった。何を書こうか迷って、うさぎを選んだ。うさぎのことも、大事にしていたけど、「この子は私の宝物!」と思って接していたのではない。間に合わせの宝物みたいになってしまって少し後ろめたかった。それでも「宝物は何か」という問いの答えとして選ぶことが、大事なものとしての表明であり、大切にしているということの一つの形なんじゃないか、と今では思う。
 私にとってそのうさぎはとても愛しいものだったから、イラストを描いたら、そこに色を付けたくなった。あっ、色塗ろう。くらいの思いつきで、色鉛筆で丁寧に着色した。思ったよりうまくできて、本物のうさぎのぬいぐるみととても良く似ていて、満足した。


 翌朝、登校してそのプリントを教卓の上の提出ボックスに出した。気合を入れて着色までしてしまったことが何となく恥ずかしくて裏返して置いた。
 それなのに、私の次に提出した男子生徒が私のプリントをわざわざ裏返して見た。そしてもう一人の男子生徒と喋っていた。私に聞こえるように。
「うわ、色まで塗ってある」
「あいつ内申点稼ぎだから」
 頭が真っ白になった。その時初めて知った。私は怒ると頭が真っ白になるんだ。頭が怒りに支配されると、何も言えないし動けない。ただ巨大な怒りが私の頭と心臓を硬直させている感じ。私がうさぎに色を塗ったのは教師にいい顔をするためではない。塗りたかったから塗った。純粋な愛しさを感じて塗った。お前らにはそういう感性ないだろうな、かわいそうに。と思ったけど言えなかった。
 今ではその男子に対して「うわ~そういう嫌味を現実で言っちゃう人っているんだ~」と少し面白がれるし、「勝手に見ておいてその言い草か~」と呆れるけど、あのときはできなかった。むかつくし、傷ついたし、恥ずかしかった。その思い出がうさぎと結びついてしまった。だからだんだんうさぎから気持ちが離れてしまって、いつの間にか宝物じゃなくなっていた。

 うさぎは今、実家のどこかにあるだろうか。探して今の家に連れてきて、あのときの分もたくさん可愛がってあげたい。





(西崎憲さんについて)
 作家の読書道で6ページにわたってどんな本を読んできたか、翻訳に至ったきっかけなどがインタビューされていて、とても興味深かった(https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi173_nishizaki/)。読みたい本を読み終えてしまったと思う感覚ってどんなものなんだろう。私は読むのが遅くて、読みたい本や積読を無限に増やし続けていて、だけど読みたい本が無限にあるのがうれしい(だから本屋はとても楽しい。巨大な積読だと思っている)から、どんどん読めてしまう人の感覚が知りたい。

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