見出し画像

2024/7/31(水)の宿題:踏まれる

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる11日目。

 多和田葉子さんからの出題

革靴は値段が高いほど踏まれる側は痛い。
スパイクのついた靴を履いていたのは主婦のサッカー・チームの人たち。
一番痛いのはファッションモデルのハイヒールの踵。
昼間はやさしくしてくれる人たちがなぜ、
夢の中であなたの顔を踏みしだいていくのでしょうか。

 優しく、美しく、多くのものを含む文章だと思う。だからこそここに込められた棘みたいなものが突き刺さってしまう。

 私は踏まれる側でもあるし、踏む側でもある。特に、誰かを踏んでしまう可能性があることを、強く意識していなければいけない。
 属性が同じ――例えば女――だとしても、私たちはその中でまた属性を分けて、踏みあってしまう。強いとか弱いとか、美しいとか美しくないとか。踏んでいる間、踏んでいる側は気づけない。踏まれた人だけが痛い。でも踏まれた人が「痛い!」ってすぐに声を挙げられるわけじゃない。だから自分の足元をよく見て、自分の靴を正確に捉えて足を下ろすしかない。そうやって立って、歩いて、それを続けていくしかない。

 国立近代美術館に行ったのだが、百瀬文さんの展示《Social Dance》の中に踏むこと・踏まれることを見た。聞こえない彼女と、聞こえる彼氏との会話のすれ違いが描かれる。その中で何度も、彼氏は彼女の手を強く握った。手話で話す人の手を握ることはつまり、口をふさぐということだ。聞こえない世界で自分を構築してきた彼女のことを理解しようとしない彼氏は紛れもなく彼女を踏んでいるけど、彼氏が「大丈夫だから、これからはもっとうまくいく」と優しい言葉をかけるから、彼女は自分が踏まれていることにさえ自信が持てなくなる。ずるいコミュニケーションだ。
 でも、自分も気づかないうちにそんなコミュニケーションをしてしまっているかもしれない。誰かを踏んづけて、「でも大丈夫だよね?」って言ってしまっているかもしれない。
 そう考えると恐ろしい。これまで生きてきた道を振り返るのは怖い。これまで傷つけてきた無数の人に対して本当に申し訳ない。だからこれからは踏まないようにしたいよ。できるかどうか自信はないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?