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2024/8/21(水)の宿題:手に取った本の行方

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる32日目。本日はアサダワタルさんからの出題で、「手に取った本の行方」について書く。

本を手に取り、棚に戻す

 本屋に行くと、本を手に取ってぱらぱらと中身を確認した後、9割くらいは元の棚に戻している。中でも手に取って戻す率が高いのは、私の場合文芸誌だ。
 純文学作品を掲載する文芸誌は大きなもので5誌あって、文學界、文藝、新潮、群像、すばる。文學界とすばる、新潮はそのままレジに持っていくことも多いが、毎月出る文芸誌をその都度揃えるのは難しいので、穴あきでぽつぽつ買っている。
 私が今、棚に戻した文芸誌を、明日別の誰かが手に取る。その人は大きな手で文芸誌を開いてぱらぱらめくり、好きな作家の創作か対談を発見して数行読む。これは買いだ、と判断してレジに向かう。多分年齢は30代半ば、男性、自分でも小説を書いていて、文芸誌に投稿している。結婚はまだしていないけれど長く付き合っている人がいて、その人も小説が好きだから、書いたものを読んでもらうことがある。多分二人で文学フリマに出掛けるデートをするだろう。
 その人が買った文芸誌は机の上に置かれ、家にいる時間で読まれる。鞄に入れて持ち運び、電車の中で読まれるようなことはない。男性が家に帰ってきて寝るしたくを済ませた後に開かれる。明日のことを考えて寝るべき時間が迫ってきているのにおもしろくて読むのをやめられない、と思いながらその人は落ちてくるまぶたにあらがっている。まもなく本は閉じられて、枕元に置かれる。電気が消える。
 これがしばらく繰り返された後、全部読まれた文芸誌はいよいよ本棚行だ。自分の前の号は買われなかったのか歯抜けになっていて、前の前の号の裏表紙に顔を押し付けるようにして納まる。自分の裏表紙側はブックエンドでおさえられ、次の号が並べられるのを待ち受けている。

 私が手に取らなかった本がそんな運命をたどっていたらいいなと思う。そういう風に過ごせる本は幸せだし、私も本に生まれるならそうでありたい。

 今回は私の妄想にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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