見出し画像

そのリードは何処へ向かう?

どうやら、子供用ハーネス(リード)の是非が話題に挙がっている模様。

子供のいない私がとやかく言うのは難ではあるけども、要は、賛否それぞれが責任や覚悟を持って向き合っているのであれば、それでいいのだと思う。

子供にハーネスを着ける親は、子供に対する責任が在りそれをしているのであれば、その事に対して誰にとやかく言われようと、着ける覚悟も在って然るべきだろうから。

それに対して、ハーネスを着ける事に反対する人は、反対するからには子供用ハーネスというものを着けなくてもいいような社会・環境の整備を進める(勧める)責任が在ると思っている。こちらにはこちらで、それが伴うという覚悟が在って然るべきだと思う。

出来れば、後者が望ましいのではないだろうか。

つい先日、衆議院議員選挙があったばかりなのだ。投じた1票には、子供用ハーネスだけでなく、社会での大小様々な出来事や問題、それに対する考え・思いといった総てが内包されていたはずだから。

子供用リードというものが、この先どうなってゆくのか、当たり前のものになるのか、それとも廃れていくのか。

私たちが投じた民意が如何様なもので、選ばれた議員たちがそれに如何様に応えるのか。

たかがハーネス、されどハーネス。

ところで、議員用のハーネス、とりわけ、総理という国のリーダー用リードというものは、無いのだろうか?←

頂いた支援に関しましては、制作活動並びに慈善活動への支援・寄付に使用していきます。