【雑談】アプサラスなんで男装してたんだ!?(「K-1ダイナマイト」)

タイトルのとおりのことを薄ぼんやり、考えついたものをダラダラと書き出しました。すごく締まりがないです。

…どういうことだよ!?

K-1ジュニアGP編も佳境にさしかかって突然登場した「真のビースト」だから他とは違うすごく強いらしい、タクマの護衛アプサラス。なんやかやあり、悪人タクマがジュニアGP出場選手たちに取り囲まれてピンチ!「おれのために死ね、アプサラス」という命令を受けて、障害となるものを一網打尽にする鉄砲玉ならぬ爆弾にされてしまう。

主人公・舞人は、そのように命がけで奮闘するタクマとアプサラスのやりようを【男らしくない】と言って批難。アプサラスは微笑する。「男だって言ったっけ、あたし」とさりげなく性別バレして散っていった。ーーそれが物語上で何を意味しているか? 察するよりもはやく掘り当てられた【男装女子】の性癖に溺れた向きも多かったことだろう。

さて、そのアプサラスが男装している理由は? 色々考えられる。なんと、タクマは当主家の子でビーストという共同体の長を継ぐ身の上だとここへきて読者は知らされる。ゆくゆくは彼が治めることになるだろうダンテズインフェルノ島に生まれながら、ビーストの価値観にそぐわないので失格者といわれ島民から虐げられていたアプサラスとは社会的な立場が違う。

そんなアプサラスがタクマの護衛をするために男装しなければならなかった理由を読者並みに考えつくのは、おおむね以下にあげる①〜⑥(+⑦)のいずれか、また複合した想定が該当するのではないか。

① アプサラスの意思
② 島には男女を区別する口調やしぐさの規範がない
③ 本来護衛は男(主と同性)しかなれない
④ タクマには男だと思われているが訂正しなかった
⑤ タクマの意思
⑥ 素性の隠ぺい

(備考) ⑦ 女性性が不都合だから?

①〜⑥について、それぞれもう少し詳しく意味内容を確認する。

① アプサラスの意思説

周囲からもタクマからも要請はないけれどアプサラスの判断でやってる

② 島には男女を区別する口調やしぐさの規範がない説

劇中の振る舞いはありのままのアプサラスだが、舞人に性別をわからせるために外の文化に合わせて「あたし」とわざわざ言った

③ 本来護衛は男(主と同性)しかなれない説

アプサラスは条件を満たすために努力しました。本当のことはタクマさまとの秘密

④ タクマには男だと思われているが訂正しなかった説

本当は女ってことはあたしだけの秘密! …という設定のイケメンパラダイスがあった気がする

⑤ タクマの意思説

タクマの判断でさせている。男装女子が性癖なのかもしれないし、女扱いしないということかもしれないし、女を囲っていることのカモフラージュかもしれない。彼の都合で男装させている

⑥ 素性の隠ぺい説

アプサラスは失格者ゆえ死んだことになっているので性別を偽ることで素性を隠しており、今の名前はタクマにつけられた

《補足》 ①はアプサラスが主体、⑤はタクマが主体、で個人的な意思決定に基づいた判断という説。③⑥は共同体の規範を考慮した判断が行われたという説。④はアクシデントがあってアプタクの間で性別の情報が共有されていないという説。②はそもそも男装ではないという説、に大別している。

⑦ 女性性が不都合だから

というのは、【②男女を区別する規範がない、 ⑥素性の隠ぺい】を除いた全ての場合で言及できる。

ここで言わんとする不都合は、

性被害
女とみて寄ってくるケダモノに襲われる/襲われた、なんて話だったりしないかな? (タオルかけてたし)

侮られる
女は侮られるので男を装っている

ハブられる
そもそも女は存在しないことになっている

→ 自主学習のすすめ

複数の説を組み合わせた考察もできる。
例えば、③⑤⑥※。“失格者である彼女を真のビーストにするという計らいにおいて、護衛は男しかなれないことと素性を隠す必要性との都合が噛み合ったから”など。タクマがビースト社会で表立って失格者を拾い上げること自体が獣の心なりビーストの掟に反することとも思われる。そうまでして拾いたかった彼女に(偽名を名乗っているものとして)アプサラスと命名するのはいかなことか? …など。
※ ③本来護衛は男(主と同性)しかなれない、⑤タクマの意思、⑥素性の隠ぺい

ほか、①⑦※だとアプサラスの防犯意識 、⑤⑦だとタクマがアプサラスの身を心配してる、みたいになるかしら?
※ ①アプサラスの意思、⑦女性性が不都合

好きな取り合わせで自説を組み立ててみよう!




…こういうことじゃね?

○  女性は侮られるか?

作中、ビーストにおいて女性と男性に力量差があり女性が劣ると殊更にいう描写はない。(アプサラスの特技である「気」の力の説明で体格や筋肉量に依存しないというような説明はあるものの)
男性の優位性を装うために男装するという想定は描写のみからは論証が厳しいのではないか? と蛇足ではあるが考えてみる。

試みに。舞人が基礎を学ぶために通った子ども空手教室の指導員が女性(ストパーをかけているらしい)だったことを論拠に挙げられるか。

舞人は教室を幼稚と侮っていた。指導内容(知識・能力)は自分にとって有用性が低いと幼年部の生徒や女性指導員を程度の基準として判断したため、と考えられるからだ。(そういうことってあるよね)

舞人の認識 = 実際の配置意図や能力の評価ではない。一般化もできない。けれども、他者に認識される印象を気にする(かつ、ビーストにもそのような認識をする者がいる)なら、アプサラスは形だけでも誤魔化すために男装するかもしれない。

ただし、疑問点として

1、アプサラスの負い目は自身が動植物を愛護する気持ちをもつビースト失格者という点であり、女性だからではない(また、作品は動植物を愛護する気持ち = 女性性とも言っていない)

2、護衛はC4を不意打ちした描写やこれまで一切登場しなかったことから考えて隠密行動と思われるが、女性性への侮蔑の目を気にして男を装うことが特別必要とは思われない

とりあえず、[社会的失格者 = 動植物を愛護 = 女性性]として回想の出来事を前項⑦のところでチラッと言った性被害のはなしにする発想は飛躍しすぎだろう。


○ スキャンダルじゃないか?

ビーストの人たちだって恋愛スキャンダルに色めき立つのではないか。であるならば、すでにゴシップ好きのビーストがタクマと側近との関係をあれやこれや、やってるのではないか? 当主家の墓に隠された秘密の通路には研究の実験台にされた者の死体と、ゴシップ好きの真のビーストが獣の心で作り上げたジャンル「当主家」の薄い本が散乱している…、ということにしてケルベロスのセリフを読むと言ってることの意味が変わってくるぞ!

…冗談はさておいて、アプサラスの話ではタクマが島の中から見出し自ら訓練を施して護衛に登用したという。次期当主が幼くして既に異性をそのように待遇したとなれば、当主家の内政に関わる重鎮にとって由々しき事態じゃないか。

ドラマは佳境に差し掛かってB×B×Bを巡り、タクマのビーストでの内政的なアクションに焦点があたる。ここでビーストの縦社会に言及するとき、ただ護衛として絶命するべき役どころであればアプサラスが女である必然性がない(エモさはある)。件のように身分差や共同体理念を置いて手を差し伸べてくれたタクマへの敬愛にしろ恋愛にしろ【好き】だから彼に命を捧げる役どころは、男でも女でもどちらでも良いのではないか? どうせ鉄砲玉として使い果たされるのであれば、同じ命として性別で尊厳の比重を区別する発想こそ邪悪だろう。

この作品の主人公は舞人なので、ラスボス・タクマの個人的な事情は枝葉にあたる。2人の最終決戦の文脈では主に必殺技の威力のことが話題に絡むが、B×B×Bが物語るのはそれだけではない。ビースト当主家の次代を継ぐ子へと伝承される秘伝書に記されている、と説明があった。つまり、継承したタクマのさらにその後継について想像が及ぶようになっている。

主人と常に行動を共にする護衛へと起用されたアプサラスが女だという事実は、当主家の血統を顧慮する内政的な話題に絡め取られるだろう。タクマにその気があろうとなかろうと、あり得ることと見做される。薄い本のように…。

○ そこに愛はあるのか?

当時の読者ならすでに成人済みだろうからすごく生々しいことを言うと、愛はあってもなくても世継ぎは生まれる。タクマもアプサラスも生殖機能も生きていれば可能性はある。一族を子に継承するという仕組みならば、当主の異性関係は直系の子の誕生が関心事となろう。(なお、血統での争いを避けるために子はなさず養子をとる仕組みかもわからないが)
アプサラスは最終決戦の最中に生存が確認された。番外編や単行本書き下ろしの後日談では女の装いになってタクマと行動を共にしている、というのはビーストの内政的には後継ぎの話題を白日のものにしたうえで留保した状態と言えそう。

さて、アプサラスが男装していた事情は作中明かされていない。男装なのかどうかもわからない。しかし、ここまで見てきたとおり【アプサラスが女である】ことは当主としての自覚をタクマに突きつけるものだと想像できる。加えてダンテズインフェルノ島生粋の当主家の臣下で、護衛として近侍するアプサラスは「ビーストの掟に反する」とC4誘拐に忠告したり、「こやつはタクマさまをもたおす力を秘めている」とその身を案じて直接対決を避けるために舞人を取り押さえて自分ごと撃ちとらせようとした。

アプサラスのビースト当主へ向ける保守的な振る舞いはタクマの邪魔になる。最終決戦の最中に満身創痍でなお戦いへ向かわんとするタクマにとりすがるのを「じゃまだ、アプサラス」と振り払われることで決定的となった。彼女のありようは、直前に舞人が「最強」を説く台詞中《第1話冒頭の幼稚園児の頃の舞人の姿をほぼ同じ絵で繰り返す》絵画的表現によって意味合いが補足されている。ここで直接描画されないが第1話の語り出しで過保護な母親を振り切った【前進】のイメージが暗示され、タクマの前進に重ねることができる。

アプサラスは口煩い母親のような役回りになっていた。これは彼女が気の力をオーバーヒートさせた老人のような姿でも表されているだろう。「おれのために死ね」の命令に従って全力の気弾を炸裂させた結果であった。おい、アプサラスをそうしたのはおまえだろ! タクマ親不孝者か?!

いま一度問おう、そこに愛はあったのか? を。愛があったことにして人に話したこともあったが、以上のようにアプサラスはタクマに当主としての自覚を突き付ける存在と言えそう。年相応の感性で同年代の子が夢中になること、危険や未知のものに踏み出すこと、挑戦することを当主家の跡取りという身分に制約されている。タクマのこうしたフラストレーションがB×B×B再現研究への没入、ついには仲間だった地雷を切るのに決定的となった「舞人と遊びたい」を自らの言葉として言ったことで暴露される。たぶん、そういう話でもあったんだろーなー… って感じ? みたいな?

とはいえ、タクマの態度は不可解だ。(この話は、愛があることにして語ったときに言ったから割愛する) ーーかくかくしかじかなので、アプサラスだけの片想いだったとも言い切れない。ただ、ダンテズインフェルノ島でのビーストの内政に絡む物語で命懸けのアプサラスはもちろん、タクマも漠然と自らを破滅へ向けて前進しようとする。それは無責任な子どもではいられない彼ら(というか、彼)の抵抗として見ると、論文をいい感じのこと言って締めたい風の《おわりに》になる…。

島で、護衛に起用した“アプサラス”が女と分かれば政治的な解釈に絡め取られて利用される。…そうなったとき、作中で【タクマへの好き】を舞人に利用されたことがきっと伏線として響く…少なくとも、公がアプサラスを男だと思っている間はタクマだけの爆弾。そのための男装だったのではないか? 

以上、タイトルに即した考察で終わりにします。


…なんだったんだろうね?!

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