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月、満ちる、懸ける④


 それから俺とミチルの世界は真っ二つに分かれたのだ。
 ミチルの歌声を聴きたくない俺は、ミチルの隣で歌うことをやめただけでなく、歌うこと自体をやめてしまった。俺の出せなくなった音を、微笑みながら世界に浮かばせ、舞わせるミチルなんて見たくなかった。
 せめて地声じゃなくても、裏声で出せたなら。そして俺が、1オクターブ下がった声を許せていたのなら。
 しかしそんなことを考えることすら無理だった。なぜなら俺の声は変声前ですでに完成していたわけで、祝福されていたわけなのだから。
 当時の俺は煙草臭いカラオケ店の個室に入り、たった1人でマイクに向かって叫び続けた。文字通り、声が枯れるほどに。もう歌えなくなってほしかった。俺は自分の喉を、延々と締め上げ続けるに徹した。
 そうして喉が使いものにならなくなる頃には、今までやったことのない陸上競技に身を投じ、ただただトラックを走り続けることにした。
 声を出さずに我武者羅にやれることがあるのは救いだった。



〈つづく〉

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