見出し画像

月、満ちる、懸ける⑥



「悪い。今すぐ出ていくから」
 すりガラスの向こうにミチルの全身の輪郭がぼんやりとあることが目に留まった俺は慌てて背を向けて脱衣所を後にしようとした。
 ガラス1枚の距離。今すぐにでも割れてしまいそうな俺の心臓。
「いいよいいよ。私、もう出るから」
「はっ?お前、ちょっと待てって……――――!」
 ミチルの動きには1秒の躊躇いもなかった。逆をいえば、俺には1秒以上の躊躇いがあったということになる。
 風呂場との境の扉がガチャリと軋むように開いて同じように軋みながら閉まった。背後でミチルが裸でいると思うと変な汗をかいてしまう。タオルと肌が擦れ合う音だけが響く中、俺は自身の喉が鳴らないように極力ゆっくりと唾を飲み込んだ。
「……俺、出て行くよ」
「いいの?今、出てって母さんにでも見られたら、怒られるのはカケルだよ?」
「お前なぁ……」
 思わず振り向いてしまった俺の目に映ったのは、バスタオルで胸から太ももあたりまで覆われた、ミチルの不敵な笑みだった。
「こんな風に話せる機会もないからさ、久しぶりに話そうよ。…ね、カケル」
 俺にだけ向けられたミチルの声は、忌々しいほどに透き通っていた。



〈つづく〉


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?