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月、満ちる、懸ける⑤

 ミチルの歌声は風呂場のエコーでも十分だたったが、逆にエコーなんてものは必要ないとさえ思えた。外部の響きなんていらない。ミチルの腹や喉で震えているだけで十分なのだ。

 帰宅する俺の耳に、さらにミチルの声が近くなった。耳を塞ぎたいくらいだ。しかしながらそれから逃げるのも癪に障る。俺は「なんてことはない」とばかりに堂々と、せめて汗が吹き出ている顔だけでも洗ってやろうと洗面台のある脱衣所へと向かった。
 ミチルの声をかき消す意味でも蛇口を勢いよくひねった瞬間、風呂場から聴こえてきた歌声がやみ、代わりに
「カケル?」
と、ミチルは俺に声をかけてきた。





〈つづく〉

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