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紫陽花少年のアパートメント

Instagramによると145週前、2020年夏、わたしと息子は紫陽花少年と出会った。

コロナウイルスが流行初頭で何回目かの緊急事態宣言からそのまま小学校は夏季休暇となった。

今はギャングエイジ真っ盛りで自我の塊、俺のやりたい時にやりたい事をやるがモットー化したらしいので大体彼に任せているが、当時はまだベイビーだったので概ねタイムスケジュールはなすがままに動いてくれたものだ。

宿題や授業の進行もなぜか先取りでどんどここなしてくれるので(神童なのかと思った)毎日朝10時には暇を持て余す。

暇になった我々は元気いっぱいなので、速やかに支度を済ませ、息子がハマっている虫取りをするべく、網を携え虫かごを下げ、通学路である人工小川が流れる遊歩道へ向かう。ここは四季折々の木花がたくさん植えられているので虫がたくさんいるのだ。

この夏、息子はもう幾度目かの蝉取りに精を出していた。来る日も来る日も蝉取りである。子によるだろうが彼はなかなか粘着質でブームが長く、執拗にしつこい。(時々将来が心配になる程に)

付き合ううちに、わたしも不本意ながらなんと大嫌いな蝉を手掴みできるまでに成長した。人間の適応力よ。
簡単だ。蝉らがバタバタし出す前に掌で覆って抑え込めば良いのだ。(2023年現在はもうできない)人間に行えば当然ながら犯罪行為だが、蝉たちならば誰にも咎められない。
毎日やりたい放題!
(成体の蝉は好きではない。蝉の子〜羽化までは、非常にファンタジーとロマンさえ感じていまだに毎夏魅入ってしまう)

さて、蝉とりにも飽きてそろそろ遊歩道の突き当たりまで歩いてから帰ろうか、というとき、古めかしいベージュの砂壁で赤い屋根の二階建てアパートメントの石垣から、見事な紫陽花が生い茂っている。
たぶんアナベルという、首の大きな真白う可憐な西洋品種である。
なぜここにこんなに…
と息子と手を繋ぎながら呆然としていると、白い紫陽花の隙間から、なんと少年がにょっきり飛び出してきたのだ。

年は息子より3つ上の高学年だという彼は、すらりとして眼鏡が利発そうで、大人にも物怖じしない(わたしが子どもに舐められがち、という話もあるがか)子で、幼稚園の頃出店で求めた紫陽花を庭に埋めてみて、楽しいから肥料のあげ方などを図書館で調べ実践したら3年でこうなったのだという。

花きりばさみでバッチンバッチン花を刈りながら、差し技のやり方をわたしにすらすらと説明する紫陽花少年。

「お姉さんと君も育ててみる?あげるよ!」少年は40になったおばさんに「お姉さん」2歳下の息子に「君」と呼びかける技量があるのだ。
なんとまぁ育ちのいい子だ。
同じクラスにいたらきっと好きになってしまうタイプだ。

すっかりびっくりしているわたしに、紫陽花少年は挿し木用の枝を3本、大輪のアナベルを2本新聞紙に包んでくれ、しばし雑談話交わしたのちに、

「来年も咲くからいつでも来てね!」

と鋏を持った手をぶんぶん振ってくれて我々は別れた。

毎年夏に通るたびに
「咲いてるねぇ。少年いないねぇ」
と息子ときにしたり、ひとりできにしたりしていた。
あれから毎夏、花は咲けども紫陽花少年には遭遇しない。

今日の午前中、白木蓮を探すついでに紫陽花アパートへ寄ってみると、紫陽花の木は跡形もなくなっており、少年が住んでいたらしい1F角部屋も人気がなく空き部屋のようで、跡には古めかしい錆びついた誰かの自転車が2台、その場に置かれていただけだった。

「小川未明みたいだなぁ」

思わず大きな独り言が口から出た。

腹が空いたので気に入りのパン屋で、生ハムとチーズと発酵バターがたっぷり挟まったバゲットサンドを求め、マスクを外してパクつきながらぶらぶらと歩き、煙草屋でいつもの430円の煙草を一箱求め、マダムと限定品だという三千円のスペシャリティ紙巻煙草についてちょっと話し、「7箱買えるなぁ…」と思いながら店を出た。

こういうのんびりとした怠惰な平日もあと少しと思ったら急に愛しくなってくる。(まだ何ら決まっていないが)


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