レインボーフラッグのはためき、先頭に立つその人は。

こんにちわ、西浜大二郎です。

ジュディガーランドの峻烈な生涯を描いた映画『ジュディ虹の彼方に』が本日封切りとなった。

私は明日観に行くのだけれど、今から楽しみで楽しみで仕方ないのに全然時間が過ぎてゆかず、このままでは明日など来ないのではないか?と心配になって来たので今から文章でも書いて時間をつぶそうと思う(働け)。

本作は晩年のジュディガーランドを描くもので、主演をブリジットジョーンズやシカゴで知られるレネーセルヴィガーが演じる。
レネーセルヴィガーと言えば一時はアカデミー賞を数年間独占した実力派で、ブリジットジョーンズの役作りのため10キロ増量して出版社で働くほど、自身の役に対して熱心な女優だ。
そんな彼女が、リハーサルの1年も前から役作りに取り組んだのが本作である。
簡単なあらすじは以下。

ジュディ・ガーランドは『オズの魔法使』(1939年)でハリウッドのスターダムへと駆け上がったが、次第に薬物依存や神経症に苦しめられるようになり、そのことがキャリアにも暗い影を落とすようになった。1960年代後半には家賃の工面にも難儀するほどの苦境に陥っていた。~中略~本作は最晩年のジュディに焦点を当て、彼女の知られざる苦悩、子供たちへの深い愛情、ミッキー・ディーンズ(ジュディの5番目かつ最後の夫)との恋を描き出していく。(Wikipedia引用)

私は、ジュディガーランドと言えばドロシー、と云う世代ではない。
もっと言うと『オズの魔法使い』も絵本で昔読んだくらいで別に詳しくない。
ではなぜ彼女のことを知っていて、この映画を去年からずっと楽しみにしていたかと言うと、レネーセルヴィガーが大好きと云うことを除けば私の友人が「ドロシーのお友達」だったからだ。
ドロシーのお友達、とはセクシャルマイノリティの暗喩で、今よりももっと彼等の肩身が狭かった時代、海外のゲイの友人などは自身のことをしばしばそのように表した。
それはドロシー、つまりジュディガーランドの実父がゲイであったこと、そしてガーランドの峻烈な生涯で彼女がずっと求め続けた愛情と呼ばれるものの根源が父であったことに起因する。
母には出生前すでに嫌われていた。2歳からショービズ界で仕事をさせられた彼女は10代でスター街道を駆け上がる。女優として十分通用する並外れた才能を有しながら、ほとんどタレントまがいの仕事をこなす日々だった。事務所社長と母親は彼女を「金になるタレント」程度にしか考えておらず、彼女はいつも睡眠薬とドラッグと精神安定剤のカクテルを与えられ、ハイになった状態で膨大な仕事をこなしていた。
いつしか彼女は母を忌み嫌うようになったが、離れた父との関係は良好であったと言われている。その父をも若くに亡くすことになるが、彼女は終生、父を愛した通りゲイのセクシュアルについて肯定的な態度を変えなかった。
そうしてゲイたちは彼女を敬い、愛し、自身を「ドロシーのお友達」と名乗ることになったのだ。

そんな一人の女性の、悲しいとしか感想が出てこない生涯を知った時、ふと思ったことがある。
『オズの魔法使い』でドロシーが最後に「There's no place like home(自分の家が一番)」と言うシーンだ。
私は、彼女はどんな気持ちでそれを言ったんだろう、と考えた。
加えて、47年の人生はほんとうに短すぎたのかな、とも。
もしかしたら良かったのではないか、なんて考えてしまうくらい彼女の人生は波乱に富み愛情に飢えていた。アルコールとドラッグに溺れ、人形と紛うほど麗しかった美貌にも陰りが見え始めると彼女は加速度を付けて転落していく。

そんな最晩年のガーランドが尽きるまでの一瞬の永遠を、レネーセルヴィガーが演じるのだ。あの、イギリス英語をマスターしてロンドンで見習いまでする女優が。そこに注がれたエネルギーは想像もつかないし言語に絶する。
剥げた化粧がシワに滲んだ顔面のアップだなんて、しかもそれが予告で思いっきり使われるだなんて、レネーの覚悟たるや凄いではないか。

しわがれた声と小さなステージ、喝采の中死んでいった夭逝の女優ジュディガーランド。
虹色の旗のはじまりにいた、美しい女性の名前だ。