あれって何だったんだシリーズ
今まで生きてきて学んできたことはたくさんある。しかし、そのすべてが今の自分を形成する要素であっただろうか?
小学生中学生の時、ほぼ全員が教えてもらってきた内容で、確実に今いらないものが多数ある。というか、いらないことのほうが多い。前にしりとりでも出演したが、逆上がりなんかも典型的な例である。あんなにクラスの中でできないことが少数派であった自分への自己嫌悪に陥っていたくせに、これから先の人生で何か特別な企画に引っかからない限り、逆上がりが出来なかったことを後悔することなど一度たりともないだろう。体育に関することだけでなく、あれだけ苦労して進級留年騒動にもなったベクトルやインテグラルは結局なんだったのだろうか。
実際に使うか使わないかを勝手に判断して努力を怠るのはよくないことだ。あれだけ苦労したのだから勉強しないことがどれだけ自分を苦しめるのかは理解している。それに、なんだかよくわからないし難しいことを一生懸命勉強した人は人生の質が違うのだなあと最近考えられるようになった。だから勉強しなきゃいけないのだろう。勉強は内容ではなくてすることに意義があるのだろう。
しかし、これほど長い前置きをしておいて私がしたい話はそこではない。どう考えてもあれは何だったのだという話題である。
よく言われる話題として「帯分数」である。小学生の時分数の分子の方が分母より大きいと容赦なく減点を食らっていた。
あれは何の意味があってそうしているのだろうか。何かしら理由があるのだとは思うがあまりにも説明不足なのである。中学生になった途端、「あ、それやめて」のノリで辞やめさせられる。帯分数は儚い。
また、もう二度と使うこともない、思い出すこともなかったかもしれない名前を私が思い出させてみよう。
ピロティ
これは結局、どこの話だったのだろうか。ベランダとバルコニーの違いは屋根がないことだ。ピロティとホールの違いは?そもそもピロティはホールに対応する言葉なのだろうか?
あの頃の私たちはピロティをどう認識していたのだろうか。
ちなみに私はこれに対して明確な定義を教えてほしいわけではなく、ただ単に共感してほしいのである。
しかし、先生にピロティと言われたらみんなが同じ場所に向かっていた。ピロティの定義はわからないもののその空間がピロティなことは認識できていた。
高校だと各階の廊下に「生徒ホール」という間があった。ここから廊下、ここから生徒ホール、などの違いもなかったし、しいて言うならば緑の汚いカーペットの上が生徒ホールだった。
絶対にそんな名前を付けるにはあまりにもしょぼすぎる空間であった。あの空間もまさか自分が「ホール」の界隈に入れるなんて思ってもいなかっただろう。なのになんの疑問もなく生徒ホールと呼んでいた。あの空間の名付け親に会いたい。
そんな風に、昔違和感を感じていなかったことを不意に思い出したときに変だったんだなあと気づくことは少なくない。
そんなことを思い出しもせず新しく知った世界だけに浸って人生を過ごしていくのもそれもまたとても悲しいことなのではないだろうか?
逆上がりが出来な過ぎて体育を休もうかと思ったこと、シグマが出来なさ過ぎて進級が怪しかったこと(それ以外にも問題があったのは間違いないが)、ピロティの定義、生徒ホールという名前の存在意義、5時のチャイムで帰らなければならなかったあの頃の護持のチャイムに対する嫌悪感、プールの後の眠気、三者面談の時の決まりの悪さなど、もう二度と経験することのない気持ち、もう二度と口にしない言葉は意外といくつもある。
気持ちや経験についての話はまた別日に書こうと思うが、
幼いころに対する「そういえばそうだったよなあ」という気持ちはこれからもたまに思い出せたらいいと思う。
それが何になるわけでもないけれど。
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