幸せなこじつけ

お久しぶりです。
誰も楽しみにしてないと思うけど更新が遅くなってごめんなさい。毎日って言ったのに週一くらいになってごめんなさい。できるだけ毎日あげます。

さて、今日は私の得意な謎の哲学的な思想についてのシリーズでかなりポジティブなものを紹介したいと思う。
皆さんは、「前世」「来世」という存在を信じるだろうか。
私は信じる方だ。もちろん、このままの意識を持って前世と来世がつながっているわけではなく、今世の人生は今世で終わり、私が死んだら、私は私としてもう一度生まれるような気がしている。
そして今世と同じような時間が流れて、同じような歴史がそこに存在していて、同じような未来が歌われている気がする。

そこで、私が考えたのは、「今の自分、前世で割と修正かけた新バージョン説」である。

だってそもそも、人間が「いい人生を送るために」努力するのはなぜなのだろうか?自分の人生が努力によって変わるということは誰も証明できなければ、それを見ている暇もない。だけどみんな頑張る。その理由が前世の尾を引いてるからだとしたら、すごく面白いと思う。

小学生中学生の頃から、なぜか勉強ができる子、できない子がいる。才能だ。いや、そもそも才能ってなんなんだ?元から備え付けられてる能力だなんて不公平にも程がある。
前世でどこに修正を加えたかで才能が決まるのだとしたら、それはとんでもないことだ。なんの才能もない人はメンタルが強いのだ。そういう風にできている。要するにバランス、運命のタイミングだけを決めて来世をカスタマイズしているのだ。

私がこの説を裏付けするのにはもう一度理由があり、それは「あるある」だ。小学生あるある、中学生あるある、などがあるが、これは現役の小学生が「あるあるだからやろ」と思って行動してできたものではない。
皆さん、小学生の時、プールのシャワーのことを「地獄のシャワー」と呼んだことはなかっただろうか。それは、後々日本全国共通の小学生あるあるなことがわかった。どうしてそれが全員の共通認識なのだろうか?誰も教えていないのに、どうして産まれただけの全員があのシャワーを「地獄」と呼ぶのだろうか?
それはきっと前世を引いているのだ。
「さるゴリラチンパンジー」の替え歌もそう、「いーけないんだーいけないんだーせーんせいにーいっちゃーおー」もそうだ。誰も教えちゃいない。勝手に全員が知っているのだ。

前世は、確実に存在する。

それで、来世の自分はどうしようかなーとカスタマイズして今世ができている。そう信じたい。そう信じることで救われることが何個もある。

例えば、「あー、あれ買っとけばよかったな」と思うことでももしその時にそれを買いに行っていたらとんでもない事件に巻き込まれていたのである。そんな風なカラクリが起こる。きっとそれを免れたのだ。だからみんな、「人生なにが起こるかわからない」と言う。「世間って狭いなー」とか「運命の出会い」とか、全部全部、前世の自分が仕掛けた台本なのだとしたら心が楽だ。

それに、確実に前世よりリニューアルされているんだろうし、自分に絶望を感じることも少なくて済む。劣等感が湧いたり他人を羨むのは人生にチャレンジした回数がそれほど少ないのだ。もしかしたら2週目とかかもしれない。

こんな風に考えれば、自分の人生に悲観することなく「あー来世ではもっとこうしとくか。」と考えることができる。失敗は成功の元、とかこのことから来ているんだろう。

それに、今世の出会いも大切にできるだろう。前世からの希望が今世である。英語で「現在」は「プレゼント」である。大切な家族大切な友達は前世の自分が期待して作った「こいつとは巡り合わせよう」のメンバーなのである。だから本当に大切にしたい。してほしい。

人生は波乱の連続である。出会いに別れ、誕生と死、幸も不幸も全部だ。
完璧な人生が歩める人なんていない。だけど人生をかけた人生ゲームをリハーサルなしでやっている以上、緻密な計画は必須なのだ。

来世の私には、是非とも日々コツコツとなにかを続けられる忍耐力を身につけさせたいと思っている。
だからその時は、毎日一定時刻で更新されるこのnoteをまた、見に来てほしい。

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