恐怖症

みんな、恐怖症というか、病的に苦手なものって持ってる?
私は主に中学校から高校時代のまあ成長期的な時期にかけて、白黒写真に対して過剰な恐怖を感じる謎の症状があった。
私はそれをイキって「恐怖症」と名付けていたが、実際のところは不明である。

具体的には、日本史とか国語の資料で白黒の写真を見ると冷や汗が出たりソワソワしたり、いきなり大きく出されると気を失うほどびっくりしていた。
でも、高3の受験期の頃になったら嘘のように平気になった。明確なタイミングはわからないがどうしてそれが怖かったのかも理解ができない。
私でさえこうだったんだから世の中いろんな恐怖と戦っている人が存在するのだろう。アーメン。

それに気づいたのは小学校6年で初めて歴史をやった時だった。シンプルに戦争系の写真が怖いんだと思っていた私は特に違和感を感じていなかったが、
三越の上のパン食べ放題の店がまだハワイ料理の店だった頃、その店で明らかな違和感を感じた。サーフボードを抱えて笑顔でこちらを眺めるニキたちに恐怖を感じ、何度も立ち上がってしまって落ち着きが取れなくなってしまった。

私は大変な病気を持っているのか?と思って家に帰っても心配で、勇気を出して母に相談した。すると母は「ワロリン」といった形相で、祖母から母、母から娘への遺伝なのだと笑った。この家には、白黒写真を恐怖と感じるDNAが流れている。母は赤ちゃんの時、祖母は40〜50代の時に恐怖を感じていたらしい。は?という話である。とんでもない。祖母なんて写真は全部白黒だろうと思っていたらそういう訳でもないらしい。とにかくよくわからないが、ワロタ、ということだった。

病院に行かされると思っていた私は安堵だったが、未だになんでそんな部分が受け継がれているのか謎である。だったら祖母のかわいい部分を永遠に継いでくれ。声が異常に低いのもなんで継ぐんだ。ひどい話だ。

そんな風に大きなネタがあるくせに、母が人生でいちばんの恐怖を感じたものは他にある。
人間は大体が集合体恐怖症であるそうで、危険な毒に対して反射的に拒絶するいわば生理現象とも言われているらしい。たしかに、集合体恐怖症が死ぬ画像みたいなやつで死なない人がいるか?いないだろう。

母の恐怖はなんと、スイカである。


は?


これにはちゃんとした理由があって、今回この文章を書くために母に当時の状況を再度聞いたが拒否された。思い出したくもないらしい。
簡単に状況を説明すると、なんらかの理由でスイカのしま模様に対して横から切った。それだけなのである。そして普通に切れた。危険な目やもったいない目にあってもいない。私もその時それをたしかに一緒に見た記憶が微かにあるのだが、かなり子供で覚えていない。
種が逆立ってた。それ以上でもそれ以下でもない。でも、信じられないほど気持ち悪かった。世界中にそれを見てしまった人が何人いるかわからないからインターネット上にあるかわからないが、画像の検索はおすすめしない。たしかに気持ち悪かった気がする。

でも、今になって考えると、スイカの断面の種なんてたかが知れていないか?なぜ母は未だにのたうち回るほどの衝撃を受けたのだろうか。それはもしかして母だけの感性だったのではないか?

人には人の恐怖症
ですわな

まって10時すぎたすまんおわらせますおわりーーー!

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