音楽って

どこかでお茶でも飲みながらこの文章を書いている。そう願いたい。

私がnoteを書くのは、どうしようもないほど心にも時間にも余裕があるか、どうしようもないほど心にも時間にも余裕がないか、そのどちらかの時。

「Stand By Me」のヒットでお馴染みのベン・E・キングはかつてこんなことを語った。
「音楽というのは小鳥のさえずりのようなもの。公園で小鳥のさえずりが聞こえなかったら、それは何かがおかしい。音楽が鳴ってない世界も同様だ。常にそこにあるのが自然なものなんだよ」

私には、音楽が鳴らなくなってしまう時間が定期的にやってくる。それはものすごく暗くて、怖くて、絶望的で、踠いてもどこにも手足が触れない、上下左右もわからない、そんな感覚。それが永遠に続いているように思える。
でも、実際のカレンダーを見ると、1日か長くて1日半くらいの時間で、そこから少しずつ音楽を聴き始めている。そして、また世界が動き出す。少しずつ、小鳥がさえずりを始める。

今私のiPodから、バナナラマの「Venus」が流れてる。歌詞も踊りも、ギターソロのメロディも覚えている。ユニゾンコーラスの三人。音楽理論的にはハモってないけど、素人耳には美しいハーモニーだ。そして、今はアウル・シティーとカーリー・レイ・ジェプセンが「It's always a good time」と歌ってる。

今の私は、お気づきだろうけど、どうしようもないほど心にも時間にも余裕がない時だ。今流れている音楽を止めるのが怖い。さえずりが消えてしまいそうだから。

でも、私は歩きながらイヤホンはしない。カナル型で遮音性が高いのだ。それでも以前は普通に歩いてたけど、あることをきっかけに止めた。横断歩道が青になって渡りだそうとしたら、突然気配がした。救急車が急停止したのだ。きっとずっと前から「通りますよ」って言っていたに違いない。自分が轢かれるかもしれなかったことより、その時中に乗っていた人は大丈夫だっただろうか、命は助かっただろうか、と今でも時々考える。もう何年も前の話だけど、気になるものは気になるのだ。

ここまで言葉にして、うん、私はコーヒーを飲みながらこの文章を書いている、とやっと認識できた。そして、このコーヒーを飲み終えることができるのか、不安でいる。店はいずれ閉まるし、家までは電車に乗って帰る距離にいる。

ちなみに、私の住んでる地域の公園では、小鳥のさえずりは聞こえない。そもそも公園がほとんどないし、あっても申し訳程度の砂場とブランコが一つあるくらいで、聞こえるのは車の走行音や人の声。カラスや鳩もいない。「駆除」されてしまったのだろうか。されていてもおかしくない、そんな場所に住んでいる。そっか、私の住んでる場所って、実はすごく不自然な環境なのかもしれない。

だからこそ私はどんな時も音楽を聴いていたいし、音楽が聴けない時間が耐えられないのかも。「単に精神的な問題でしょ」と言われればそれまでだけど、人は何かと理由をつけたがるし、それが必要なときもあると思う。私は辛い時間と向き合うために、そんな理由をつけてみることにした。

iPodはボニー・Mの「Gotta Go Home」を流してた。前の文章を書いている間に、ワム!の「Freedom」に変わった。皮肉で私をいじろうとしてるのだろうか。

とりあえずコーヒーをまたひとすすりした。まだ半分以上は残ってる。かなり冷めたけど、とても美味しい。

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