「優しい」と言われる自分に戸惑うとき

私は友達にはよく「優しい」と言われる。友達だから私のことを好いてくれてるのだろうし、そう考えれば不自然ではないのかもしれない。「優しい」と言われたらもちろん嬉しい。でも、同時に戸惑うのも正直なところ。

私は、穏やかで柔らかくて、優しい人間になりたいと思ってきたし、今もそう思ってる。そう思ってるのは、自分のなかにそうでない部分があるから。自分の嫌いな部分、それは自分の攻撃性。怒りっぽいとかではない。私の中の攻撃性が動き出すと、相手に最大限のダメージを与えるような行動をしてしまう。相手の傷つくことを。それも精神的に傷つくことを。

後悔するかと言われれば、やってる最中からしている。でも止められない。相手は恐怖を心に残してしまう。私は罪悪感を。それは自業自得か。

イメージとしては、先端がものすごく尖ったクリスタル。宙に指を立てて、そこにちょんと先端を当てると血が滲む、それくらいの尖りかた。それが猛スピードで回転する。それがわたしの攻撃性。普段はそれが表に出ないように、分厚いコンクリートのようなもので覆ってる。でもときどき突き破ってくる。だからさらにコンクリを増築する。自分の醜い部分を隠すための「優しさ」がどんどん作られていく。だからその「優しさ」はすごく空虚。少なくとも私はそう感じてる。

私は猫を被ってるのだろうか?そう思う人もいるかもしれない。私の中では、自分の嫌なところを人には見せたくない、という思いだけ。

人間誰しも多少の攻撃性はもってると思う。でも私のは威力が強すぎて、多くの人を傷つけてきてしまった。すごく後悔してるし、反省してる。だから自分を変えようと必死に努力してる。なかなか結果に結びついてないのは事実。でも変わりたい。切実に。

私は心の底から優しい人間になりたい。表向きの優しさがうまい人間ではなくて、芯から優しい人に。私の周りの空気が暖かくなるような人に。私の周りの空気がふんわり落ち着くような人に。だから私は、クリスタルの先端を削りたい。攻撃性そのものを取り除くことが難しいのなら、尖った部分を丸くさせたい。そうしたら、指の例えでも血が滲むようなことはない。ただ押されるだけ。押しすぎたら痛いだろうけど、そこは自制でコントロールしたい。きっとみんなそうしているのだと思う。

どうしたらいいのかな?自分でも答えはわからないけど、とりあえず自分と向き合うしかないよね。私は自分の思う優しい人間になれるしている日が来るのかな?来てほしいし、来るように進みたいな。

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