アウトプットは苦手だ

私は自分の感情のアウトプットが苦手だ。医者やカウンセラーによく「紙に書く」ことや「言葉に出す」ことを勧められる。でも、これまで逆効果に終わってきた。可視化、可聴化されることでリマインドされてしまうのだ。そもそも、「悩み」の状態で八方塞がりに感じているときは、辛さや苦しさだけが頭を巡り、「思考停止」状態になっている。だから、あえてアウトプットしても、すでに悩んでいることが出てくるだけ。人に話すときは、困っていることがあって、その問題に対して「こうしたい」という明確な目標地点があって、そのためにどうしたらいいかわからないときに、方法を知っていそうな人に「相談」という形で質問を投げかける。これ以上はやらないほうがいい、というのが私のスタンスだった。もしかしたら、今もあまり変わっていないかもしれない。私の感情や心の傷、トラウマや後悔の念みたいなものには「沈黙の掟」というものを課し、蓋をして鍵をかけ、絶対に表に出さないことを鉄則としていた。でもふと自分を見つめると、長いこと蓋をして放置してきたため、どこにあるのか、どんなものだったのかよくわからないのである。どこかに埋もれてさび付いてしまっているのかもしれない。そうなると、文字通り「墓場まで」それらの重荷を重荷のまま抱え続けることになる。経験に変えることも、苦い思いを解消することもできない。そこで、日記をつけるのは心理的にいいらしい、しかも紙媒体でなくてもいい、という記事を読んで、まあ毎日でなくともコンスタントに継続していこうかな、と思った次第である。

私は現在、双極性障害と診断されニートの生活を送っている。肩書のあるなしはとりあえず置いておくとして、実質ニートの状態はもう五年にもなる。友達は、いるにはいるのだけど(それだけでも十分幸せではあるが)どうしても孤独感がつきまとう。特に抑うつ状態にあるときは、友達なんていないと思ってしまうし、藁にも縋る思いで「友達がほしい」と叫ぶ。ふと冷静になると、会って話してくれたり、症状を理解してくれたりする人が何人かいて、なんか申し訳ない気持ちになる。

私の双極性障害は「双極II型」と呼ばれるもので、軽躁状態と抑うつ状態を繰り返す。中間はない。ここがネックなので強調させてほしい。中間はないのである(あくまで症状の出方は人それぞれで、ここで書いているのは私個人のものであることは承知していただきたい)。軽躁状態のときは、活動的になる。映画を観に行ったり、友達と会ったり、ライブに行ったり。抑うつ状態のときは、何もできない、軽躁ってそれ、ただ趣味やってるだけじゃん?と思われるかもしれないが、双極性の診断がくだる前に二年半くらい、ろくにベッドからも出ることができず、趣味なんて彼方に消え、ぼんやりと身体だけ生きているという状態だったころから比べると、音楽/映画鑑賞と読書という、昔からの趣味ができるようになったのは大きな前進である。とはいえ、この時点での診断はうつ病であり、それは双極性障害、昔でいう躁うつ病とは似て非なるものである。双極性の治療目標は、軽躁状態と抑うつ状態の波をおだやかにする、というものだ。治療法としては、薬物療法と生活リズムの安定が有効とされている。投薬によって波をおだやかにするのを助けつつ、軽躁状態でのテンション上げすぎに注意し、規則正しい生活をしよう、ということだ。

ところが、である。抑うつ状態のときに生活リズムを整えるのはものすごく難しい。というかほぼ不可能に近い。よく言われるのは不眠或いは過眠によって抑うつ状態のときにリズムが乱れるということ。私は後者である。時折起きて水を飲んだりトイレに行ったりはするが、下手をすれば一日半くらい眠ってしまう。もちろんリズムはとんでもなく乱れている。でも抑うつ状態のときに無理して動くことはとてもできない。起きていてもマイナスの思考に囚われ自暴自棄になったり、自分をめちゃくちゃに卑下する、というよりは自ら自尊心を叩き潰すような考えに囚われるので、起きていてもいいことはないし、徐々にパワーも失い、ベッドに倒れこむしかなくなってしまう。軽躁状態のときは趣味ができる。映画を観て感動したり、ライブに行って盛り上がったりするのは、音楽や映画鑑賞が趣味な人にとって自然なことだ。でも時に映画が感情に刺さりすぎたり、アクションがド迫力すぎたり、ライブが大規模なエンタテイメント型で会場が熱気に包まれるようなものだったりすると、テンションの上がりすぎで躁転、ということになる。そうすると必ず抑うつの波がやってくる。私はやっとできるようになった趣味にも代償を払わなくてはならないのか、と虚しい気持ちになる。

私はもちろん社会復帰を目指している。と同時に、私には高校二年のときから明確な将来の目標がある。それ以前は明確ではないものの、ぼんやりとその方向を意識していたので、かなり長いこと私の中で将来の目標として心の中で確固たる意志として存在していたものがある。それは「文化研究の道に進む」というものだ。特に私は20世紀半ばのアメリカの文化に興味がある。ビート・ジェネレーションからヒッピーカルチャー、ベトナム反戦運動、公民権運動、女性解放運動(ウーマン・リヴ)、同性愛者の権利運動(ゲイ・ライツ・ムーヴメント)といった、社会の流れを大きく変えるできごとが、50年代から70年代にかけて起こった時期である。そこに興味がある理由としては、自分自身がバイセクシャルであること、また今の社会を見ると、50年代から70年代にかけてざっくり20年間の間でおこったことが、一気に押し寄せている時代に思えることがある。ブラック・ライヴス・マター、MeToo運動、LGBTQIA+の権利、それにプラスして移民問題、心身障がい者に対する社会的権利、理解とサポート、特にメンタルヘルスに関しては著名人が過去の苦悩を公表するなど大きな注目が集まっている。この今現在において社会的マイノリティである私個人のあり方と、同じ思いをしている人たちの動き、これからその問題にどう向き合っていけばいいのか、ということを、過去の事例から学び、それをフィールドワークと結びつけながら考えたい、というのが私の目標である。したがって、学問の観点からは大学に入学し、研究課程を進む必要が出てくるし、フィールドワークもその過程に必要になってくるだろう。また自主的に、より多くの人の考えや事例に触れることによって、少しでも視野を広げ、オープンな姿勢で研究に向き合いたい、とも思っている。

しかし双極性障害とは厄介なもので、軽躁と抑うつの波を繰り返すものだから、コンスタントに通学するのは難しい。少し休んでしまう日があっても、リカバリーしながら通いたいのが正直な思いだ。というのも大学に1年程度通って感じたのは、授業以外からも学ぶことが多い、ということだ。高校までよりも圧倒的に多様な人たちがいて、クラスも流動的なためいろんな人といろんな形の人間関係を築くことができる。そこで学べることは、下手をしたら授業で学べる学問的なこと以上に将来に役立つものなのだ。なぜなら、ソーシャルマイノリティの研究をするということは、多様性について考え、それを認め合う社会をどう作っていけばいいか、という問題に直結するからである。それを考えるときに、身近な人間関係から学ぶことは非常に大きいのだ。

じゃあ大学に通おう、と決めたとする。仮に通う大学も決まったとして、それでも「はい明日から」とはいかない。まず私は今スマートフォンを持っていない。それはニート生活の状態ではむしろ精神的によいことが多い。Wi-Fiが通っていないとSNSを使えないし、音楽デバイスを使っているから、通知は完全オフになる。音楽の最中にポンポン通知が鳴ってきてはたまらない。適度な距離を置けるということだ。しかし大学生活をするとなると、連絡手段はLINEやその他SNSのチャット機能を使っている人がほとんどだ。音楽デバイスでは電話もメールもできないし、Wi-Fiがなければオンタイムで連絡がとれない。休んでしまった授業で出た宿題をきいたり、休講や教室変更の情報を受け取ることもLINEやメールが使えないとできない。しかし今私にはスマホを一台ホイと買うお金はなく、とりあえず親に立て替えてもらってから期限を決めて返済、ということになる。となると、その点は早く動いたほうがいいが、現在お小遣い制で大きな収入もないことと、精神面のバランスを最優先に考えないと将来もへったくれもない、という非情な現実もあるので、ある程度は貯金に回し、ある程度は趣味や友達と会う機会のためにとっておかなくてはならない。定期的な外出を勧められていることもある。それらを考慮して、再来年度を目標に大学に入学することを直近の目標としている。

とここまで明確に手立てが決まっているのならなにを悩む必要があるのか。必要性でいえば、ない。しかし、双極性と闘っていると軽躁状態のときと抑うつ状態のときとで、考えが180度変わってしまうのだ。軽躁状態のときは、目標のため頑張る、で一切の揺らぎはない。だが一旦抑うつ状態になると、そもそも自分には研究なんかできないのではないか、大学に通うなんてできないのではないか、とマイナスの思考に囚われ、それらが疑問形ではなく断定形として私の脳内を駆け巡る。自分が自分に振り回されて、ひたすら苦しいとしか言いようがない。しかし、これは薬の力を借りながら、自分で向き合い方を常々模索していかなくてはならないものなので、あまり振り回されていても冷静に模索ができない。

ということで、日記というか、アウトプットしたいものをアウトプットしたいときに、自分の思う形でやってみよう、思い立った次第だ。苦手なことではあるけれど、研究の道に進むなら絶対に役立つことだ、ということを原動力に、気ままに継続していきたい、というやたらと長い私のnoteのイントロダクションであり、一種の決意表明でもある。暖かい目で見守っていただけたら嬉しいな、という思いを最後に書いて、この記事を締めくくることにする。

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