ヘッダ

サンタクロースの伝説を産み出したニンジャはなぜ「子供にプレゼントを配る」という前向きなイメージを自らに付与したのか? -ニンジャ民俗学とジツ研究の視点から-

1 始めに

    2017年も早終わりサンタクロースに銘銘の欲しいモノを願い託す時期は過ぎ去った。聡明なヘッズ庶子の目にはサンタクロースという民話の裏にニンジャの存在があることは改めて論を持つ必要もないほどあからさまなこととして写っていることと思う。欧米文化圏を中心にして、その日付や外見・行動、時には性別すら変化しながら「12月の特定期間に子供の下を訪れてプレゼントを残していく」という骨子において不自然に統一性が保たれていることや、伝承を信じるなら一晩で大陸を跨ぐほどの距離を移動してなおかつ誰に悟られることもなく子供にプレゼントを届けていくという非人間的な所業を毎年行っているという事実を見れば明らかなことだろう。

    しかしここでひとつの疑問が生じる。表題にもある通りだが、サンタクロースはニンジャの所業をベースにする伝説にしてはあまりにモータルに優しすぎるのだ。ウラシマ・タロ伝説を思い出していただければわかるとおり、多くのニンジャ・バックグラウンドを持つ伝承・民話は皆ある種の攻撃性をはらんでいる。だがサンタクロースニンジャ(以降サンタ・ニンジャとする)の伝承には他の伝説に見られるモータルに対する加害性が極めて薄いのだ。強いて例をあげれば、ドイツ近辺の伝承に存在するとされる「悪い子におしおきをしたり、最悪連れ去ってしまう黒いサンタの存在」という、ある種教育的とも言える攻撃性のみだ。

   この疑問に関する明確な回答は、「純民俗学的変性説」(注1)や「サンタニンジャ伝承混入説」(注2)などのいくつかの仮説が存在するが、未だハッキリとは見出されていない。そこで今回は広く明らかな情報から得られた新たな仮説を提示させていただき、もって研究のさらなる活発化を図りたいと思う。

2 サンタ・ニンジャのジツという新説

   実際突飛に過ぎる説のように見受けられるかもしれないが、2~3のリアルニンジャの実例を参照すれば、読者庶子もこの説に一定の妥当性があることを理解してくれるものと思う。それは「ナラク・ニンジャ」「パンク・ニンジャ」と「サバト・ニンジャ」の3例だ。

   まずナラク・パンク両ニンジャの誕生過程について概観すると、両者は共に「モータルの情念が特定の核たる存在に集約されたことによって誕生した」ニンジャであると言える。ナラク・ニンジャはニンジャに対する憎悪がとあるニンジャの生首に、パンクニンジャはモータルの間に起こったムーブメントに伴うさまざまな思いが一人のモータル(シド・ヴィシャスであると推測されているが確定的なものではない)に集約されることで誕生したニンジャソウルだ。つまり「モータルの情念を何らかの核に集約できれば大きな力が生じる」ということがここからわかる。そしてコトダマ空間知識の深いリアルニンジャがこの事実を掴んだらそれを当然利用するために情念を集約する手段を考えるだろう。ここで産み出されたのがサンタクロースという存在である。物・金銭・土地など、人間は皆各々の物欲を有し、それをバラバラな対象によって充足させ、または発散して忘れてきた。しかし「よい子にプレゼントをもたらすサンタクロース」の伝承が広まればどうだろうか?子供は皆その時期になれば自然と「サンタクロース」という単一の対象に自らの物欲や、満たされたときの喜びや満足できなかったときの悲しみを向けることとなり、大人もそれへの対応を考慮し子供への愛や金銭面などの苦しみ、悲しみをサンタクロースという単一の対象に向けることになる。まさにニンジャソウルすら産み出した情念の集約現象がここに再現されるわけだ。そしてニンジャソウル生成時とは違い核となる存在は架空の伝承にすぎないため適切なパスを用意すればその力を自らに誘導することができるだろう。かくしてサンタ・ニンジャの元には毎年クリスマスの時期になると莫大なカラテが供給されるわけだ。

   この説を採用すると序章で取り上げた「純民俗学的変性説」と「サンタ・ニンジャ伝承混入説」の2説が説明できなかった同一性の保持と攻撃性の低さを説明することができる。サンタ・ニンジャがキョジツテンカンホー・ジツのような自らの力を用いて伝承の同一性を一定以上の水準に保ち、攻撃性が暴露されないように隠蔽して情念の吸収に支障がでないようにしているのだ。そのためのパワーリソースはまさにサンタ・ニンジャ伝承自身から受け取ることができる。おそらく伝承による力の吸収を始めて力を得、その力で伝承をコントロールしつつ影響範囲を拡大し、それによって供給を増やした力でさらに伝承の伝播とコントロール領域を増やすニンジャ・バイシクル・マネジメント式の勢力拡大によってサンタ・ニンジャ伝承はその勢力を増していったのだろう。

   ここでひとつの疑問が生まれる。「果たしてニンジャがモータルを殺すでもなくその社会にわざわざ頼ってまで力を得ようとするのか?」というものだ。それに対する反例となるのが「サバト・ニンジャ」だ。サバト・ニンジャは悪魔崇拝者達の集会である「サバト」の構成員をジョルリとしてその体内に自身のカラテを貯蔵し、必要になる度に随意それを殺してカラテを引き出していた。まさに「ニンジャがモータル社会に相乗りして力を増した」例であるといえる。ニンジャは強くなるためには手段を選ばないのだ。

   このようにこの説は前述の2説が説明しきれなかった問題に対して明確な答えを提供しており、実際確かな妥当性を有しているように見える。しかしこの説にも1つの大きな問題点がある。それは当のニンジャがAoM時代にすらいまだに発見されていないことだ。これほどの力を適切に集めたニンジャならばその力は計り知れず、AoM時代においても大きな勢力を誇るようになるのは必然といえるにも関わらず、そのようなニンジャは未だに発見すらされておらず、その痕跡もジツ発動のためと見られる伝承のみとなっているのはあまりに不可解であるし、それほどのニンジャがやすやすと記録にも残らずスレイされるとは考えがたい。自らの存在自体をジツによって隠している可能性が考えられるがそのジツの効果範囲はあくまでサンタクロース伝承存在範囲である欧米文化圏に限られていると考えられるため、世界規模でのニンジャ戦国時代たるAoM時代にそのジツのみで自らの存在を隠し通し続けることができるかには大きな疑問の余地がある。この謎の解明にはサンタ・ニンジャにまつわるさらなる資料・伝承の発見を待たねばならないだろう。

3 結びに   

いずれの説も核心を突くことができずにいるサンタ・ニンジャ問題に対する新たなアプローチを見て、あなたもサンタ・ニンジャ研究に対する意欲の高まりを自らのうちに見出したのではなかろうか?そのような新たな探究心の昂ぶりがいずれこの問題にひとつの答えを見出すことを祈って本稿の結びとさせていただく。

1) サンタ・ニンジャの伝承はニンジャの所業を記録した伝承が時を経て主人公が聖人、サンタクロースへと段階的に変化していったというもの。最も一般的である一方で伝承内のニンジャ的攻撃性の欠如、伝承の核部分における高い同一性に対する説明が不十分であるとされている

2)聖ニコラウス伝説の伝播過程で似た内容のニンジャ伝承との混同が発生してないまぜになり伝播していったという説。黒い装束というニンジャ装束の典型的メタファーの特徴を有するサンタの存在やその黒いサンタの所業に見られるニンジャ的攻撃性の高さなどによって強く支持されている説だが、純民俗学的変性説同様に伝承が核部分で高い同一性を有することに対する説明が十分にできないとの指摘がなされている。

参考文献 (著者名アルファベット昇順)

2001 Brandon Bond, Hidden history of NINJA. p,221~254,Lucky Press

2010 「サンタ・ニンジャ伝承混入説の限界について」 ゲンヂ・バシダ ネオサイタマ大学人文学部歴史学科ニンジャ史研究室調査報告書第15巻.p,855~893

2011 イチゴ・シドメ「聖夜を駆けるニンジャ-人攫いニンジャがいかにしてサンタクロースとして愛されるに至ったか-」『ニンジャ的歴史再考』31.p,57~131,ニンジャ民俗学会

1997 Percival Mozez Jr, Everything is NINJA. p,15~77Lucky Press

2008 ヨルイチ・ダケダ「黒衣とニンジャ、星とスリケン~世界伝承におけるニンジャ暗喩基礎理論~」.p,23~81,バンブー書房

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