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【美術ブックリスト】『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』 猪谷千香

2017年から弁護士ドットコムニュース編集部で記事を執筆してきた著者が、女性作家につきまとうギャラリーストーカーの存在を知り、実際に被害にあった作家に取材を重ねたルポルタージュ。
画廊に長く居座る、二人きりになろうとする、食事やドライブに誘う、家やアトリエの住所を聞いてくる、などその手口と被害は多様で、しかも加害者が迷惑行為をしている意識がなく「善意」でやっている。さらにそうした人たちが取り締まられることなく野放しになっている現状など他の分野のストーキングとは違う美術分野の特殊性も指摘する。
加害者はコレクターだけではなく、キュレーター、批評家、美術家などの例もある。ストーキングだけでなく、権力を利用したハラスメントや性被害もレポート。ハラスメントの温床となる美術界特有の構造と体質、さらにその前提となっている美大の教員や美術館学芸員の男女のジェンダーバランスの問題も明らかにする。
最後には、2021年に多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コースの学生有志53名が、50歳代以上の男性しか教員がおらず、教育現場がジェンダーの専門性に欠けることなどを改善するよう研究室に要望書を提出した事例など、変革の兆しについても触れている。
巻末には実際に被害にあった際の相談窓口を一覧する。
ここまでが概要。

ここからが感想。
ギャラリーストーカーについては、私自身も実際に見聞きしていたし、若い画家にはそれなりの注意喚起や対策を伝えてきたが、本書にはそれ以上に噂や伝聞の形でしか知ることのなかった美術業界のセクハラ、パワハラ、性差別、性犯罪について取材している。こうした負の部分について書かれた、ほとんど初めてといっていい書籍であり、問題の広さと深さがとてもよく描かれている。
ストーカーに40歳以上の男性が多いのは、若い女性が自分の話を聞いてくれる上に、購入した作品をインスタなどにアップすれば「いいね」がもらえて承認欲求が満たされるから、と説明される。「まるで無料のキャバクラ」というのが本書の説明だ。
しかし私の観察では、彼らの意識はそれでは説明がつかない。作家側が意を決してNOと言っても引き下がらないからだ。キャバクラにいくのは消費活動であり、店側が嫌な客を拒絶すれば、つまり供給がなければそれ以上行くことはない。ギャラリーストーカーは作家を消費しているのではなく、「教育」しようとしている。会社の上司は部下や後輩に対して、仕事や社会を教えるという体裁で、実際には自分の話を聞かせ、マウントをとり、支配する。それと同じように立場を失った会社員や退職者は、部下や後輩の代わりに弱く見栄えのいい女性作家を選んで「啓蒙活動」あるいは「教育活動」としてやっている。だからこそ加害の意識はなく、相手が嫌がっていても自身は正しいことをしていると思いこんでいる。

セクハラやほとんどレイプに近い事例も登場する。美術界の人脈やキャリアアップをちらつかせて関係を迫る大学教員や美術館学芸員の実態など、犯罪として告発すべきだろう。実際に、10年間に渡って女子学生に関係を強要したとして告訴され、大学から教授職を懲戒解雇され、美術評論家連盟の会長も辞職した評論家のことも出てくる。

本書の刊行は、こうした迷惑行為や犯罪行為をなくす第一歩としてとても意味がある。まずは被害者となりうる学生や若い作家がこれを読むこと、そして画廊関係者や大学関係者もこれを読んで認識を深めることが必要だろう。問題は加害者。ストーカーたちは自分がやっているのは迷惑行為ではないと思っているし、確信犯はこれまで通り大丈夫だと思っている。
対策の1つは、各画廊が店の目立つところにこの本を置いて、そうした人たちの目にとまるようにすること。できれば平積みにして、ストーキング撲滅の拠点であることを示すことだと思う。業界の大人たちが、いつでも相談に乗ってくれるとわかるだけでも、若い人たちには心強い。

本書に注文をつけるとすると、この官能小説のような表紙。煽情的すぎやしないか。

※追記
本書でも指摘されている通り、ギャラリーストーカーの被害は貸画廊で起こりがち。若手作家は貸画廊からスタートすることが多いからだ。また貸画廊は展覧会の主体が画廊ではなく作家であるため、画廊主やスタッフが不在のことが多く、いたとしても接客は作家がやるものとなっているのも理由。したがって友達や家族などに同伴してもらい守ってもらうのも一案。
一方、企画画廊ではこうしたことは起きにくい。画廊主やスタッフが間に入るし、ストーカーは企画画廊のオーナーには近づかない。画廊主がコワモテなのも意味がある。

私は若い作家に対して、人生のなるべく早い時期に
1 銀座付近の
2 企画画廊で
3 個展を
開催することを目標にすることを勧めている。それが美術家としてのキャリアを作っていくからだ。銀座以外の会場も活動の幅になるし、貸画廊はキャリアアップの前段階として、またグループ展は交流と研鑽の場として、それぞれ大切ではあるが、活動の軸は上記の三つを満たしたものである。
ストーカー問題も、上記の場所ではきちんと対処してくれる。若い人は銀座の企画画廊というだけで腰が引けてしまうかもしれないが、門を叩いてみると意外と味方になってくれるものだ。普段から展覧会に出入りしたり、コンクールに応募してコンタクトをとっておくといいと思う。

中央公論新社 四六判 232ページ 1760円


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