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【美術ブックリスト】『野田弘志 真理のリアリズム』

「野田弘志 真理のリアリズム」展は日本における写実絵画の現存する代表画家・野田弘志の最初期から近作までを選りすぐった回顧展。そのために制作された展覧会図録兼書籍が本書。

学生時代の作品、広告会社時代のイラストやデザイン、黒を背景とした細密な静物画、新聞連載小説の挿絵原画、大作シリーズ、近年の等身大人物画シリーズなど、余すところなくその画業を網羅している。

絵画作品はページに一点と大きく掲載してあるので細密さ、写実性がよく分かる。逆に挿絵やドローイングはモノクロ図版で多数掲載してあり、メリハリが効いている。

担当学芸員が執筆した解説文のほか、野田自身の著作から引用した制作意図や作品解説、さらに画家の諏訪敦、美術史家の高階秀爾、建築家の安藤忠雄、科学者の野依良治といった著名人の言葉で画業を立体的に説明している。
ここまでが概要。

ここからが感想。
野田氏は「存在を描く」「存在の崇高を描く」とよくいう。写実絵画が対象物に「似せて描く」ことに本質があるのではなく、つまり事物の表面的な模写ではなく、それが有ることを描くことを意味したいのだろう。それが有ることの神聖さや崇高さこそ写実絵画は表現しなければならないということである。これはこれで画家独自の解釈であり、それをもとに作品が制作されているので、野田哲学あるいは野田存在論として尊重されるべきとは思う。

これはドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの存在論の読解に由来していることは野田氏の別の著書を読めば分かる。問題はハイデガーの存在論に忠実に従うならば、「存在を描く」ことと「写実」という技法は繋がらないこと。なぜなら、写実でなくとも、細密でなくとも、デフォルメした絵画でも、いろんな時空がまじった作品でも、さらに抽象絵画でも、「存在」は表現できるから。実際、ハイデガーの芸術論《芸術作品の根源》では、ゴッホの靴の絵のほか、ギリシア神殿、音楽、音楽が例として挙げられている。絵画が特別ではないし、写実が特別でもない。

おそらく画家が言いたいのは、人物でも動物でも風景でも、目の前の「現象」を描きたいのではなく、存在を可能にしている言葉にならない「有るという事態そのもの」を、その普遍性や実在の重みや聖性を通して描きたいということだろう。また画家という一個の人間の体験ではなく、個人を超え、人間を超えた、世界のありのままの真相を描くということだろう。しかしなぜそれが写実で可能なのかはやはり謎のままである。

写実=リアリズム、リアル=真実という理解でいる限り、なぜ写実絵画がそれほど「存在」や「存在の真実」を表せるのかという問いの答えにはいたらない。

画業は分かるし画家の思考のあともわかるので、展覧会図録としての役割は果たしているので、それ以上を望まなくていいのだけれども。

第1会場 2022年4月27日(水)~6月19日(日)山口県立美術館
第2会場 2022年7月2日(土)~9月4日(日) 姫路市立美術館
第3会場 2022年9月17日(土)~11月6日(日) 奈良県立美術館
第4会場 2022年11月19日(土)~2023年1月15日(日)札幌芸術の森美術館

160ページ(図版331点) A4変型 2800円 求龍堂


<目次>
ごあいさつ/主催者
序/野田弘志
総論 野田弘志―その人と作品/安部すみれ(姫路市立美術館学芸員)
第I章 黎明 ―学生からイラストレーター時代―
第II章 写実の起点と静物画 ─黒の時代/金の時代─
「リアリズム(写実主義)絵画」とは何か/高階秀爾(美術評論家)
第III章 挿画芸術 ─新聞連載小説『湿原』─
第IV章 風景を描く ―自然への憧憬―
壮瞥のアトリエの方へ/諏訪敦(画家)
第V章 生と死を描く ─TOKIJIKU シリーズ/THE シリーズ─
野田弘志さんのこと/安藤忠雄(建築家)
第VI章 存在の崇高を描く ―聖なるものシリーズ/崇高なるものシリーズ―
一科学者が考えるリアリズム/野依良治(ノーベル化学賞受賞者)
作品リスト
年譜

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