「天気の子」を見ての疑問

・なんで恋愛感情を詳細に描かなかった?
というのが、鑑賞後の疑問であった。

「言の葉の庭」では、細やかな恋愛感情が表現されており、新海誠監督はそういった表現はできたのに、選択しなかったと考えられる。

以下の論考の方法は、宇野常寛さんに強く影響を受けています。
前提として、作家の作品は、持ちうるすべての想像力で構成されているという考えに基づいています。


上記の疑問に答えるために、ストーリーを簡単にまとめます。
ストーリー自体は、分かりやすい。
時系列に書けるくらいです。

最初に結論だけ書きます。
→ 「天気の子」は、高校生が世界(社会システム)から少女を守る話
エゴイズムの実現に関わる話
→ → そもそも「天気の子」は恋愛映画ではないため、その感情を描くことを必要とされていなかった。

そして、万能感を得るためには、犠牲が伴った。
世界に対して加害者意識を持つことで、世界との折り合いを付けることができた。 

ということで、少年が大人になるって話をナルシスティックに描いた話ってことですかね。


以下、ストーリーのまとめに入ります。
ネタバレになりますので、ご了承下さい。


主人公は、島の高校生
退屈な毎日から逃げるように都会へ
都会は冷たい
銃拾う
優しくしてくれる少女に出会う
優しい大人に出会い、都会に馴染む
銃を使って少女を助ける
少女が世界を変える力を持っていると知る
少女と過ごすことで、高校生が世界を変えているような錯覚を持つと同時に少女との関係がかけがえないのないものと感じる
少女の存在がバズり、世界との関わりを断つ
少女と高校生の関係を大人が破壊しようとする
世界のために少女が犠牲になる
高校生は少女を救い、世界を歪めることに加担する
3年後、大学生となって2人は再会し抱き合う
世界を歪めてしまった加害者意識

上記をまとめると
→ 高校生が世界(社会システム)から少女を守る話

万能感を得るためであって、猫を守る話でも良かったのかもしれない。
今回少女であったのは、新海誠監督の作家性であろう。
→ → そもそも「天気の子」は恋愛映画ではないため、その感情を描くことを必要とされていなかった。


引き続いての論考。
それでも、少女が好きだからという理由のみで、守る対象とするには、描写が十分ではないように思える。高校生が都会に作り上げた小宇宙の構成物(少女との関係)を、世界に盗れたくないという感情もあっただろう。

万能感を得るためには、犠牲が伴った。
加害者意識を持つことで、世界との折り合いを付けることができた(小宇宙の解体を一時的に受け入れる)。 

ということで、少年が大人になるって話をナルシスティックに描いた話ってことですかね。
女の子が祈る姿ってなんであんなに可愛いんでしょうね。最後のシーンを見れただけでも、映画を観た甲斐がありました。


2020.8.6に記載変更。
「エゴイズムの実現」という単語が頻用されていましたが
「万能感を得るため」に書き換えました。

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