栞を挟まない生き方
先日、本にしおりを挟み忘れていたようで、それがどこなのか考えることになった。すると、なんだかデジャブ感が出てくる。内容を覚えている訳ではないけどなんとなく親近感を感じるのだ。
そう、その章の内容は既に読んだことのある内容だったのだが、結局もう一度しっかり読むことになり、しかも以前よりも楽しめた、より深く理解できた感覚があった。
(栞のような)物理的マーカーが与える区切りは必ずしも認知的区切りと一致しない。
なんだか読んだ覚えがあるけど栞はそれよりも後ろにある、という場合は、認知的な区切りが物理的な区切りよりも前にあるということになる。
一つの可能性としては内容をしっかり咀嚼できていなかった。
もう一つは、今自分が求めている、或いは受け止められるものがそこにあるという可能性。
勉強時間など、どうしても五感で知覚できるものによって境界を決めてしまいそうになるけど、センチに言えば心の声を聞いて、その時々の感じ方を尊重したいと思った。
これは人生におけるさまざまなフェイズにも言えるかもしれない。確かに、所謂わかりやすい区切り(卒業、転職、退職など)が木になるけど、本当はもっと細かい、或いはそれとは違う区切りが人それぞれある。
栞(区切り)を心に挟むことで、この目に見える世界も、掘り下げられる世界観も変わる。
否が応でも自分と向き合う時間の増えるコロナ期は、そんな意味でも良い見直しの機会になるかもしれない。
あなたと私と私の周りにいてくれる人たちにとって小さくても何か有意義なものを紡ぐきっかけになれば嬉しいです。