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甲府の街
以前の「はじまり」と言う投稿で載せた古い集合写真は75年程前の甲府の連雀問屋街。中心に座っているのが初代の私の曽祖父で、祖父は当時戦争で出兵していたので写っていない。
数年前に道路拡張の為曽祖父の家は取り壊されたのだがその際発掘調査が行われ、それを見に行った。発掘されたのは器の破片やら小銭やらでたいしたものは出てこなかったのだが、地表から数センチ下の所にまわりとは異質の真っ黒い地層があった。気になり、その場にいた専門家にお聞きした所、甲府空襲で焼けた跡という事だった。
平和に暮らす日々だがそのほんの少し下には生々しい戦争の痕跡がずっと残っているということに驚きと怖さを感じた。
甲府は擬欧風の建物がたくさんある洒落た街だったらしい。太宰治も新樹の言葉の中で「きれいに文化の、しみとおっている町である」と記している。写真の後ろに写る様な町家もたくさんあったのだろう。それらが今も残っていたら着物を着て歩いてもきっと楽しい街だっただろうと残念に思う。
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