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#04 セクマイの団体で何故かally(であろうとしている人)が代表になった話・後編

【前編はコチラ

こんなに長編になると誰が予想したか。
書きたいことをただただ書き殴っているだけである。
そういう自覚はあるので反省はしているが、後悔はしない。

講演の翌月、推しとなったヒロコちゃんがオーガナイザーを務めるウーマンオンリーイベント、LADY EDENに行った。

クラブイベント初体験である。
吾輩は当時すでに齢40代である。
さらには、人懐こい人見知りである。

自己の存在が異質ではと狼狽えながらも、好奇心には勝てない。
それよりなによりヒロコちゃんにはメロメロなのだ(私信は続くよどこまでも)


会場の扉を開けた先は爆音
さらに美の異種饗宴
それが目の前で繰り広げられているのだ

LADY EDEN、最高…ありがとう…ありがとう…

あえて詳細を書かないのは、もし書くのであれば前後編に止まらずコラムのシリーズになるであろう。

ご存知かと思われるが、わたしは文才はないので、可能ならば多くのウーマンたちに実際に行って、五感をフルに使って感じて欲しい。


社会から『女・母・妻たるものはかくあるべし』とされている、その真綿のような重圧で干からびた私の何かを目覚めさせたし、初参加以降連続で行くほどになった。


そんな風に、ウーマンオンリーバー『楽園』を無事にオープンさせたヒロコちゃんを崇め奉る一方、真さんから『せんだいレインボーDay』というイベントを知らされた。

おそらく真さんは、こんなイベントがあるけど興味あったら嬉しい、という程度に声をかけてくれたのだと思う。

興味ありまくりだったし、講演の恩返しをしたかった私は、すっかり友情を深めた命の母ズにもイベントを手伝ってみないかと声をかけた。
身持ちは固め、フットワークは天使の羽な命の母ズは、ほぼ即答でボランティアするのを決め、私たちははりきって準備会から参加した。
また、せんだいレインボーDayには、前年の講演を聞いた中学生が高校生となり、共にボランティアをした。

準備のミーティングで当日の役割分担を決めたり、インスタ映えグッズや装飾など具体的な事柄を進めつつ、実行委員長の小浜耕治さん(愛称:浜姐 生態:かわいい)を師として、多様な性について学んでいった。


レインボーDay当日、清貴さんのライブ、『私はワタシ』の上映、OUT IN JAPANパネルの展示、セクシャルマイノリティ当事者のヒューマンライブラリーと、様々な表現を通して多様な性について触れ、自分の世界は広がったし、その感覚はときめくものだった。


同時に、この問題は他人事ではないと感じた。


これは自分の人権のことでもあるのだ、と。


私は生きている上で直面する
問題の選択肢、その前段階に
選べないこと

選べること
があると思っていた。


30歳前後には結婚し子どもを産み育てその成長に一喜一憂し夫にご飯が不味いと文句を言われコウメ太夫よろしくチックショーとママ友に愚痴を言いながらやけ食いをし義父母や父母の介護をなんとか行いちょっと幸せを見つけて楽しいけれどどこか自分をすり減らしそれなりに幸せでも不幸でもなく自分を納得させながら朽ちていくのが与えられた生き方、だと思っていた。

身近な情報からだけ影響を受けていた自己暗示でもある呪いがゆっくりと融解していく中で、漠然と自分の人権を探した

どう探しても見つからなかった。

だから、自分のあり方を問い直したいと思った。

『わたし』は
どう生きたいのだろう
どうありたいんだろう

そういう事
悩んでもいいんだ


そして、その意味を探すべくアマゾンの奥地へとは旅立たず、2019年のせんだいレインボーDayにもボランティアより深入りした実行委員という形で参加した。

命の母ズはもちろん、新しいボランティアも増え準備を進めた。
当事者が年齢に応じて直面するであろう様々な問題を伝えるために『レインボーだよ人性は』と銘打った展示をallyの視点から作った。
Twitterから繋がった方が、泊まりがけで2日間めいっぱい滞在してくれた。
東ちづるさんのトークセッションの司会を真さんと一緒に請け負い長年の疑問だった『温泉若女将はいつ大女将になるんですか?!!?』を尋ねることが出来た。
レインボーday終了後、殆どのスタッフとハグをして、お疲れ様またねと笑い合った。

とにかく全てが楽しかった。


出会いや活動が楽しいから、それは居場所として馴染んでいった。


色んな生き方の一人一人が、もっとみんなと笑いたい、分かち合いたい、もう一歩進みたいと願った。

来年はパレードがしたいね
から
来年パレードしようよ
私たちなら出来るよ
に意識が変わったのはレインボーDayの準備中。

それが、にじいろCANVAS創設へ繋がる自然な流れだった。
決して流されたのではなく、なるべき型に辿り着いた。

わたしにとって自分らしさを見つけることを諦めなくていいと、そう感じられる場所が、にじいろCANVASだ。


男だから 女だから
母親だから 父親だから
歳下だから 歳上だから

◯◯だからというカテゴリー分けは
自分くらいやめよう

世の中を生きにくくしてるのは
自分自身かもしれない

あの出会いの講演から3年経過した春、帰宅した娘が興奮気味に話し出した。


今日ね、ズボンの制服着てる子に会ったの、嬉しくて泣きそうになった。

その子がズボンを選んで着られて、よかったよね?!


目を潤ませ、いい笑顔だった。

あの出会いの講演の、遅効性。


かーちゃんは君も笑顔になれたことが、いっとうに嬉しいよ。

始まりが自己満足だったことは、百も承知だ。

これからも無理はせず、等身大の正々堂々、自己満足気味に自分らしさを求めて生きていこうと思っている。

今年は残念ながら、コロナ禍により、にじいろCANVAS主催のみやぎにじいろパレードは中止となった。

来年、再来年になるかわからないし、それまでに胸を張って『allyです!!』と言える自信はないけれど、自分くらいは自分自身の最強のallyでありたいと思う。


ぜひ、宮城でお会いしましょう。

これも、遅効性であればいいな。

おしまい

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