自分軸は必要か?

私には自分軸がないと日々感じている。


自分軸がないことを引け目に感じているから、

周りの人々が夢を語っていたりすると自分がすごく劣って見える。

だから慌てて夢を考える。

それで

「リーダーになる」とか

「家庭を持つ」とか

 一応考えるけど結局それも人の真似っこ

真似というか世間一般に幸せと思われているものの羅列

全く、なんでこんなに自分軸がないのかとうんざりする


大女優をやめたい

私は親の仕事の関係で転勤族だった。

二、三年に一度は転勤があった。

ただでさえ年頃の女の子はクラスに馴染むのに神経を使う、

スクールカーストなんて言葉があるくらいだから。

この文化において転校生は不利だ。

単純に異質で目立つからだ。

いかに好かれるように、嫌われないように立ち振る舞うか、

転校を繰り返すうちにみんなが求める自分を演じるようになっていた。

当時はかなりの大女優だったと我ながら思う。


けれど最近うまく行かない

「何を考えているかわからない」

「八方美人で見ていて腹が立つ」

「それは本当に自分の夢?」

そんな風に言われることが増えた。

悔しいがその通りなのである。

人に嫌われないようにすること以外、考えちゃいない


大人は騙せないというのか、

それともスランプだろうか。

もう人の顔を伺って演じるのはやめたい、

大女優はもうやめたい


ヤングおばあちゃんになりたい

おじいちゃん教授の趣味がマウンテンバイクだったり

おばあちゃんがTikTok投稿してたり

パパがタピオカを飲んでたり

(全部身近な人の実話)

こういうのすごくかっこいい


いくつになっても今を楽しむ人たち

これができる人ってすごい人だと思う

変化に適応できる人

価値観に凝り固まらない人

きっとここに憧れる理由は母親にある


母親は対照的な人だ

確固たる価値観があって譲らない

現代社会問題(LGBTの問題など)のニュースを見ると

「ありえない」と否定的

何か夢の話をしてみようものなら

「いい大学に行って、大企業に就職して、安定した生活を送りなさい」

こんな典型的な殺し文句をよく使われたもんだ

(今考えればこれで救われた部分も多いにあるのも事実)

こんな価値観に凝り固まった母親を見て育ち

「楽しくなさそう」

そうずっと思っていた。


だから私はいくつになっても若いねぇと言われるような

ヤングおばあちゃんでありたい


自分軸はないけれど

・人の顔色伺うのはもうやめにしたい

・ヤングおばあちゃんでありたい

これが私の変えたい自分なりたい自分

現時点ではやっぱり私には自分軸はない

自分はこういう人間だ!というものはない

でも変えたい自分となりたい自分の姿があれば

自分なりの判断軸は自ずと出来上がる

そう信じてる


そもそも『自分軸がないといけない』なんて考えも

自分軸を持つ人が評価されやすい就活時代に

評価されるよう演じようとしていた大女優癖かもしれない


 変えたい自分となりたい自分

これを信じて行こう

大女優からヤングおばあちゃんになれるその日まで。



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