席を譲られる気持ち

 マイカーの運転を始めてからは、とんとご無沙汰だが、元々は電車やバスが大好きだ。通勤でお世話になっていた頃は、決まった時間に乗り合わせる顔に親しみを覚えて、その人の身辺まで勝手に想像したりする。本数の少ない郊外のバスが定刻に現れなかったりすると、自然に列に並ぶ人たちと会話が始まる。

 新潟ではほとんど利用することのなかった電車に、千葉県へ引っ越してからは、都心へ行くために乗る機会が増えた。混んでいる時でも優先席というのはありがたい。その上、ここの風景が結構面白いのだ。

 同い年の友人は、どこのドアから乗れば一番優先席に近いかを熟知していて、その乗車口の列に並ぶ。優先席へ直行すると、大体誰かがスッと立ち上がるので、当たり前のように座席をゲット。彼女はお洒落で、髪は手入れ良く染めているし、背筋もピンと伸びている。年齢札を下げているわけでもないから、あまりお年寄りには見えないのに。
 私といえば、姿勢は悪くないが、自前染髪のメッシュスタイル。高齢者という理由だけで、疲れた若者や、過酷な通勤者を立たせるのも気の毒な気がするので、少し離れたところで立っていても、わざわざ声をかけてくださる方もある。
 ところが、帽子を被り、大きめのスーツケースなどを脇に置いていると、どうぞと言ってくれる人はいない。 高齢の友達によれば、譲られるための一番の武器は杖だそうだ。

 譲る方と譲られ人のその場の気持ちもなかなか微妙だ。 譲られたほうはありがたいと思いながらも、前に立っていられると、何となく負い目を感じて落ち着かない。それを感じ取る人は、さっさと移動したり、中には、ちょうど降りるところと見せかけて、隣のドアにまた乗り込む人を見たことがある。

 つい先日、東京から帰途の総武線はかなり混んでいた。優先席に辿り着きはしたものの、空席はない。連結器の側の手すりに捕まって、隣の車両に目をやっていたら、後から声を掛けられた。
 青年が席を指差し、どうぞ、と。
 あら、すみません、とお礼にもならない言葉を呟いて座り、すぐにバッグからスマホを取り出していじり始めた。
 なんだ、ばーさんではなかつたか、と、思われたかしらとそっと顔を上げると、爽やかな笑顔が返ってきたので、ほっとして、改めてありがとうを言い直したのだった。

 また、こういう場面もあつた。
 新潟での話になるが、バスに乗ったら、20歳も歳上の先生が、中程の席に座っておられるのが見えたので、 前まで行ってご挨拶をした。すると先生、スッと席を立たれて、私にどうぞ!とおっしゃった。英国風のマナーが身についておられるのか?

 運転免許をとってから半世紀が経つ。この上もなく便利で、自分の行動範囲は拡がり、家族にも大いに役立った。
 引き換えに当然ながら足腰が弱るという反撃を喰らって、嘗ての山女は見る影もない。 今では坂を15分ほど下ったところにあるコンビニへの買物さえ、重い荷物を下げての登り坂に恐れをなして、マイカーに頼るという体たらく。

 私は既に高齢運転者なのだから、これからは万一の危険を伴う密室の移動はなるべく避けて、環境にも優しく、人情あふれる公共の乗り物だけに戻れることを目指して、足腰を鍛えよう。




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