見出し画像

掠れ掠れに私達は。バレないように暖めて。

 かさりかさりと私たちは生きていて。潜めた息遣いが二人を結んで。それはまるで悪戯をした後の秘め事のようだった。なにも起こってはいないくせして、私たちは背徳感に包まれて。先生が廊下を去るのを、私たちは息をひそめて待っていた。

 夜なんて、どこにも見当たりはしなかった。見当たらないということは存在していないということである、なんて短絡的な思考回路で。重ねた手は冷たくて、それがわざとらしく刹那的だった。

 逃げてしまいそうだった。逃してしまいそうだった。あまりにも優しかったから。私たちの秘め事はまるで深々とした霧のようで。私達の内側にそれがあること自体が、私に分厚い窓のエメラルドグリーンのように淡く煌めいていた。

 掬っていたい。一つ残らず。取りこぼしなんてしないように。一語をこじんまりとしたチョコレートの小箱に飾って。一句を欠かさずともよいように。貴女が私を汲んでくれたことを、もっとずっと憶えておけるように。抱きしめていれるように。手放さずに居れるように。

 焦っていたのだと思う。今の今までずっと。焦がしすぎてしまったガトーショコラに。早足で去る誰かの足音に。一人だけいつまでも湯煎をしているのが、なんだか馬鹿みたいだった。そんなレシピもある、だなんて寛容でいることが私には難しくて。私は遠ざかっていく背中が、見えなくなるのが怖かった。隣でますます大人になっていく誰かを、私はどんな目で見つめればいいのかわからなくて。ずっとずっと恨めしそうな目をしていた。

 私には貴女が居ればそれで十分だと、言ってはいけない世界線が嫌いだった。貴女を捕まえて、可愛いなんて零してしまう世界線では。もっともっと伝えたいことがあると、言えない世界線では。私は余りにも不格好だった。

 いつか。いつか貴女と。そんな夢を見れない私を、どうか誰か労ってほしい、なんて。そんな不幸せな私をどうか呪ってほしい。噛み合わない願いの数だけ、貴女が離れていくような、そんな気がしてしまう私を。私は貴女に引き留めて欲しい。

 忘れないでいれる私でありたい。

 隣で笑ってくれる貴女が、こんなにも愛おしいということを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?