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モット☆エレベーターノススメ Vol.1「エレペットノススメ」

あまけしておでめとうございます。めいはちです。

いきなりなのですが、やっと新刊「エレベーターノススメファイナルシーズンエピソード1 ようこそ底無き沼へ」が完成したのでみんな買ってね!B6版とコンパクトながらそのボリュームは驚異の300ページフルカラー!本体価格3330円+送料370円で合計3700円(booth価格)とめっちゃ値が張りますが、オンラインで載せたらパクられそうなエレベーターがたくさん登場します。

成人の日のあたりの三連休まではboothで、以後は印刷所の受注機能で買えるようにするのでよろしくお願いします。(印刷所受注はシステム上と部数割引がなくなる関係で少々値上がりします。ごめんなさい。)


そして続編「エレベーターノススメファイナルシーズンエピソード2 本当は教えたくない”沼”」もズルズルと執筆中。教えたくない事を教えるんですからズルズルやらせてもらってますw

説明がないと理解に苦しむ内容となっております。

そんなわけで今回はそのエレベーターノススメのスピンオフ企画として、同人誌として纏めるほどでは無いけど面白いエレベーターのお話を掲載しておこうと思います。その名も「モット☆エレベーターノススメ」!

第一回はこれまでも腐るほど登場し、今回の新作でもめちゃくちゃ出てくる「三菱エレペット」のお話です。
「三菱エレペット」はあの三菱電機が1960年に発売した日本初の規格形エレベーターの商品(機種)名で、従来完全フルオーダーメイドだったエレベーターの仕様を規格化し、エレベーターの普及に貢献した機種であります。一般的にエレペットと呼ばれネットで流れているものは大体1970年~1980年代のものが多く、後述するエレペットアドバンス登場以降も特注型の一部はインバーター制御が普及し始めた1990年代前半までエレペットの仕様で製造されていました。
オリジナルの「エレペット」の他、マイコン制御を採用した「エレペットアドバンス」、インバーター制御の「エレペットアドバンスV」などもあります。

今回はそんなエレペットの中でも、僕が思わず唸ってしまった名機を振り返っていきます。

「生きた化石」1962年築最古参エレペット

このエレベーターに出会ったのは遡ること9年前の2015年3月10日。
今から10年近く前、たまたま東新町界隈を散歩している時に発見したのですが、初めて見た時は
三菱製だとわからなかった。日立製に見えたからである。
最初期のエレペットはボタンが黒く光らない仕様、無知だった僕にはとんでもない衝撃だった。
エレペットよりもっと古いエレベーターは松坂屋名古屋店で乗ったことがありますが、
ボタンが光っていた記憶が今でもあります。

「足繫く通った」名豊ビル本館

つわものどもが夢の跡…生きた廃墟のようなビルにあった。
そして奇遇にも初訪問が2015年3月10日、先のエレペット、次の穂の国百貨店と出会った日である。
何回乗っても震えた、エレベーターの魅力に促されて…

最高の一機「穂の国百貨店」

自分があと何年、何十年生きるか分からないけれど、
きっとこの先の人生でこれだけ素晴らしいエレベーターに出会うことはないでしょう。
タイムマシン、はよ開発して。
でも穂の国百貨店のトイレってボロかったんだよな~~~~~~~~

車いす操作盤移設までしていた「愛媛県庁第一別館」

静電ボタンの重厚な仕様。
4号機からやってきた車いす操作盤。
3号機に移設された4号機の車いす操作盤跡。
耐震工事の際に両サイドのエレベーターの地階乗場が廃止され1階止まりに。
その際車いす対応機が4号機→3号機に更新せず移設するというウソみたいなことをしていた。

名豊の記憶が蘇った「福武ジョリービル」

そこにあったのはまさしく名豊ビル本館にあったエレベーターと同型。

もはや伝説「名鉄百貨店本館」

ボタンは高照度LED化。眩しすぎ。

ガキの頃から見続けた「松坂屋岡崎店」

あの時(2010年1月末)閉店していなかったら今頃エレモーションだったかなぁ…

おわり!

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