JR西日本・福知山線脱線事故から学ぶこと~15年目の春~

※本記事ではJR西日本福知山線列車事故について触れています。記事内容にご留意ください。 

「2005年4月25日午前9時18分、兵庫県尼崎市内での列車脱線転覆横転事故が発生」。そう聞くと、もしかしたら他人事に聞こえるかもしれない。

 では、「快速・同志社前行き」に乗ったら死んでしまった、と聞くとどうだろうか。もし、いつも会社へ、大学へ向かう列車が、関東なら「印旛日本医大」「大宮」「西船橋」......どこでもいいので想像してみてほしいのです。

 この事故は絶対に風化させてはならないと、一鉄道ファンとして思います。そして、私たち市民が何を学ぶべきなのか、私の意見を述べさせてください。

「日本の鉄道が安全」という言説には惑わされるな

 鉄道事故は近年の日本においては、ずいぶん少なくなったことは確かです。しかし、ここ20年間は事故件数自体は横ばいで推移しています。(https://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/railway/rail-accident-toukei.php
過去30年間で見てみた際に、特に目をひく列車脱線事故は、1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故(42名死亡)、2000年の営団(現東京メトロ)日比谷線・中目黒駅構内脱線衝突事故(5名死亡)、そしてJR西日本福知山線の事故だと言えるでしょう。
このほかにも、福井県を走る京福電気鉄道越前本線列車衝突事故などがあり、最近の脱線事故では2020年3月のJR西日本芸備線脱線転覆事故が記憶に新しいでしょうか。

 鉄道事故は自動車などの交通事故と同様に、なくせるはずだけれど、「なくならない」ものです。地震や山崩れなどの自然災害に起因するもの、信号機見落としや居眠りなどのヒューマンエラーに起因するもの、保線の必要があることを認識されつつ放置やデータの改ざんなど、組織が機能していないことに起因するもの、様々です。

 

列車がラッシュ時にも定刻で運行されるということは、どういうことなのか

 狭義の「鉄道」は、鉄レールの上に鉄製の車輪を滑らせることで、摩擦係数がゴムタイヤなどを用いる自動車よりも、より高速での走行が維持できるという性質を利用した輸送システムです。一方、(特に雨天時や勾配での)加速・減速に弱いという点も備えます。都市部に向かうラッシュ時の天候や乗車率により、制動距離はもちろん刻々と変化しますが、運転士はモニターに表示される簡単なデータを除いて、「経験」で停止位置に止めるためのブレーキ操作を行うことが多いとされています(最近は自動装置を備えた列車も導入され始めています)。

 福知山線事故の場合、当日の天候は晴れ、平日ではありましたが、すでにラッシュ時を過ぎた時間帯。しかし、当該列車運転士は、事故現場の手前の伊丹駅を70M強オーバーランしていました。このことから、上述した鉄軌道の基本的な性質が要因ではないようです。伊丹駅での過走はヒューマンエラーといえるでしょう。

過度な速達・定刻サービスが列車乗務員への「ストレス」になったのではないか

 本来、都市部の超過密ダイヤに秒単位の定時性を求めるのは、上記の理由から不自然だと思うのです。しかし、乗りかえや出勤通学の利便性を当たり前のものとして享受する乗客の視線、また現場の負担に目もくれず、並走する阪急宝塚線との旅客取りあい競争に勝つため、JR西日本の経営陣により発案された過度な「サービス」により、2005年3月のダイヤ改正時点で、京阪神アーバンネットワークのダイヤは限界を迎えたと、事後的ではありますが、そのように評せるでしょう。
 私は当時9歳でした。大阪の自宅近くにJR西日本の駅がなかったことから、あまり頻繁な利用はしていませんでしたが、幼子心にも「JRよりも私鉄」だという認識がありました。発車を知らせるメロディが鳴り終わる前に扉を閉める、聞き取りずらい各種アナウンス。家族は事故前からJRの先頭車両には乗せてくれませんでした。(ちなみに阪急では先頭によく乗っていました。信楽での事故以降、家族はJR西をなるべく使わないようにしていたそうです)

鉄道旅客の「消費者意識」は改革されたのか?

 たしかに、当時のJR西日本の経営体制や教育、事故後の不適切な「根回し」、データ改ざんなどは許すことができません。今後も市民や行政がが監視していくことが必要でしょう。
 一方で、我々が乗客として鉄道会社の列車乗務員に対して、過度なプレッシャーを与えていないかを見直す機会はあったのでしょうか。遅延時の駅係員への暴力・暴言などは後を絶ちません。遅延を増大させる「駆け込み乗車」がマナー違反として認識されつつも、いまだに減らないこともそれらの一因であるはずです。

 我々乗客が「お客様」としてではなく、鉄道の安全輸送の一端を担う「旅客」として、それは車に乗る際の全席におけるシートベルト着用と同様に、認識をあらためる必要があるのではないでしょうか。

15年目の春。いまだに後遺症で苦しむ方が大勢います。

 なぜあのような悲惨な事故が起きたのか。明日乗る列車が事故を起こしたら、と想像してから、今一度「安全な社会づくり」について考えるきっかけとして、福知山線の事故をとらえなおす時期にきているのではないでしょうか。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年4月25日

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