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【随想】小学生なら知っている「対馬丸の悲劇」

<対馬丸の悲劇 ....>
 それは、第二次世界大戦(日本での呼称は大東亜戦争)末期、沖縄から長崎に向けて疎開する児童を乗せた「対馬丸(つしままる)」がアメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、多くの子供達が海に沈んだ事件のことでございます。
 たとえ戦時中であったとしても、幼き子どもたちを護れず死なせてしまった責任は大人にあることを記憶しておかなければならぬと存じます。

写真_1 日本郵船の貨物船「對馬丸」(撮影年月日不明)
総トン数6754t、全長135.64m、幅17.68m、1914年浸水、1944年沈没

 ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルによるパレスチナへの侵攻、一旦始まった戦争は誰にも止められず、なかなか終りませぬ。戦争は常に「自国を護るため」であり、常に「正当なもの」とされてしまいます。しかも、イスラエル軍部の指導者の言葉を借りれば「戦争では多少の犠牲はつきものである」として「戦争」という一括りの中で、罪のない、最も弱い立場の幼い子どもたちが殺されていくのでございます(ただ死んでいく訳ではございませぬ)。しかも、誰も責任を取らぬことが目に見えてございますよね。

 6月23日は、沖縄県の定めた「沖縄慰霊の日」でございます。
 ここに挙げた「対馬丸」の話も、700名以上の子供たちが死んでいったのにもかかわらず、日米の大人たちの正式な謝罪も反省もなく、「戦争」という一括りの中ですべてが終わったことにされているものでございます。
 「戦争」であれば仕方ない、ただそれだけのことなのでございましょうか。

<対馬丸の悲劇を「対馬丸記念館」の記事、及びその他の記事からの抜粋>
 昭和19年(西暦1944年)8月21日午後6時35分、対馬丸(6754t)は那覇港から長崎に向けて出航した。
 乗船者は、疎開学童775名、引率教員28名を含む一般疎開者、船員、砲兵隊員、全員で1788名。
 同じく疎開者を乗せた和浦(かずうら)丸、暁空(ぎょうくう)丸、そして護衛艦の宇治(うじ)、蓮(はす)の計5隻の船団であった。
 しかし、翌22日午後10時15分、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け約10分後に海底に沈んだ。
ほとんどの乗船者は船倉に取り残された。海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波に呑まれた。
 1418名の命が失われた(氏名判明者=2004年8月現在)。救助されたのはたった177名(学童は59名)であった。

<この悲劇の背景には>
 昭和19年(1944年)7月7日、サイパン玉砕の日の深夜、沖縄県知事宛てに緊急指令の電報が届いた。沖縄から老幼婦女子計10万人を本土と台湾に引き揚げさせよという趣旨のものであった。
 昭和18年5月以来、既に嘉義丸、湖南丸、台中丸、富山丸などが那覇・鹿児島間の海上で米潜水艦の攻撃を受けて沈没していることは公然の秘密とされていて、疎開するにも海上は危険が予想されていた。しかし、刻々と迫る戦況の悪化は一刻の猶予もなく、米軍の沖縄上陸は時間の問題であった。
 
 疎開の輸送は軍艦で、という親達の願いも聞き入れられず、出発の夜の那覇港に子供達を待っていたのは貨物船であった。和浦丸、暁空丸、対馬丸の3隻で、対馬丸はその中でも最も大きく速度も遅い船で駆逐艦と砲艦に護られての出航であった。
 
 因みに、沖縄からの疎開船は昭和19年7月から翌20年3月まで178隻、人員にして約7万人が疎開したが、犠牲になったのは対馬丸のみで、戦時中は箝口令(かんこうれい)が敷かれ救助された人々が対馬丸が撃沈された事実を語ることは禁じられた。
 その後も、軍の秘密として公表されることはなく、この悲痛な出来事を関係者以外の人々が知るようになったのは昭和37~38年になってからのことである。

<海底に眠る対馬丸>
 平成9年(西暦1997年)12月、鹿児島県悪石島の沖合10km、深さ870mの海底で「対馬丸」発見される。

写真_2 「丸馬對」の文字が見える 深水870mからの引き上げは困難と判断される
写真_3 「丸馬對」の船影
写真_4 「丸馬對」の船影
写真_5 「丸馬對」の船影 

平成9年(1997年)12月12日
【短歌】「疎開児の 命いだきて 沈みたる 船深海(しんかい)に 見出だされけり」 (平成9年 明仁天皇)(※当時平成の天皇、現上皇)

写真_6 沖縄県那覇市若狭の「対馬丸記念館」
日本国政府は船体の引き上げは困難と判断、
代わりに対馬丸記念館を建設 平成16年(2004年)8月22日開館
画像_1 生存者の証言を基に制作されたアニメーション「対馬丸~さようなら沖縄~」
画像_2 子どもたちは船倉に
画像_3 子どもたちはあきらめずに最後まで頑張った
画像_4 子どもたちは頑張ったかいもなく海に沈んだ

※写真(画像)は全てウェブより拾ったもの、元情報(写真撮影年月日)の詳細不明

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