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「好き」よ、パンデミック後の世界を救え

世界はピンチに陥っている。もちろんコロナウイルスのパンデミックのことだ。といっても、いずれこのウイルスは克服され、流行は終わるだろう。
どうしたらこのピンチが終わるのか、政府の対応がどうかしているということはこの原稿では一切触れない。よくわからないことを伝え聞いた情報をわけもわからず広める共犯者にはなりたくない。とにかくこの流行の終わりを前提とした話をしたい。
コロナウイルスはたくさんのコトを破壊した。タピオカの流行とは違う。本当だったら行われていたことは行われず、あったはずの仕事はなくなり、様々な体験の機会も白紙となった。それだけではない、パンデミックの中、疑心暗鬼にとらわれた人たちはそもそもどこかに持ち合わせていた自己中心的な行動と人種差別をアウトブレイクさせまきちらした。マスクを買い占め、もののついでにトイレットペーパーを買い占め、周りに恐怖を感染させ、隣国たちの責任と声高に叫び、どこかの国の失敗というデマに踊らされた。株価は世界的に大暴落し、もともと消費増税で弱りに弱っていたふつーの人のふつーの家計は大打撃を受けた。オリンピックはどうなるかわからないけれど、開催したとしてもいつものようには楽しめないだろう。世界は色と彩度を失い、曇り空のような鉛色を帯びている。

めちゃくちゃになった世界を救うのは「好きなこと」だと思う。何をのんきなことを言っているのかと思うかもしれない。「好きなこと」は生存に関することとは言えないかもしれない。しかし、今こそ声高に「好きなこと」の素晴らしさを語りたい。
「好きなこと」は世代や性別、国籍や人種、人にまとわりついている煩わしい属性の全てを超えることができる魔法の感情だ。右だの左だのという政治思想も、今回あらわになった人格的な偏り(だいたいろくでもない人種差別をする連中は右ともいえないネトウヨれんじゅうだけど)も、「好きなこと」の前ではたいして関係ない。「好き」を通して人と人はつながり、理解し合うことができるのだ。
「好きなこと」は経済を回すことができる。好きなことの前では財布のヒモは無力だ。人は「好き」に会いたいし、「好き」を手に入れたいものなのだ。
「好きなこと」は力をくれる。好きに対峙したときこそ人はすべての実力を発揮できる。好きだからどんな困難にも立ち向かえるし、好きならばどんなことも楽しむことができるはずだ。
「好きなこと」は世界をカラフルにすることができる。「好きなこと」が人それぞれだとして、それらにそれぞれの色があるとしたら、世界は極彩色に生まれ変わる。

これからの世界は「好き」を中心にあらゆることを再編するのはどうだろう。「好きなこと」は世界の平和につながるのは決して大げさな話じゃない。世界中の同好の友人たちとつながろう。経済や友情をぐるぐる回そう。周りに自分の「好き」を感染させたり、誰かの「好き」に感染したりしよう。好きなことで世界をよりよくしよう。争ったりなすりつけあったりすることはやめよう。僕らには好きなことがある。だからきっと大丈夫だ。


※この文章はフリーペーパー縄文ZINE11号のあとがき「長いあとがきと「好き」は世界を救う」をnote用に大幅に書き直したものです。

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