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逆転移の理解についての謎

 力動的精神療法、精神分析の魅力に、治療者の側に生じた感情を理解して治療に生かす、ということがあります。

 この理解を支えているテクニカルな側面、幼少期からの発育、母子関係、エディプスなど基本的な関係を想像し、連想していく過程があります。
 当初はそのテクニカルな面に無我夢中でした。
しかし、ある時期から、その側面を支える関心の源泉にも倫理的な方向性や基盤があるのではないかと感じるようになりました。
フロイトの無神論に対する情熱や執着は、その倫理的な方向性を特定の思想に影響されないようにという思いもあるのかもしれないと思いました。

精神療法は治療者の人格を磨くためにもある、という姿勢は、大事ということはよく分かります。一方で人間の邪悪さに救いのない動物的な面があることも理解できます。自然を全体として比喩と捉えると、人間の無意識には、邪悪さ、善良さを越えた、植物、鉱物、水、光、影のような側面もあるかもと思います。それは善悪、中立といった二分法や三分法に馴染まない性質のものです。

患者さんとの間で逆転移が生じ続ける状況で、個人分析、自己分析、修行や運動⁇を通して、向き合い続ける必要があるのでしょう。

答えはでないが希望はある、と軽やかに、まとめることできないと思います。絶望や虚無をほろほろと受け流していけたらと思います。

 また川の岸辺は揺れて散る桜 雨も嵐も許し消えゆく

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