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29 教育困難大学の思い出

前回「老いて学生への受容度が上がった」と書いたが、間違っていた。単に大学を異動したおかげで教員にとって扱いやすい学生に囲まれるようになっただけなのかもしれない。
かつて勤めていた教育困難校にも尊敬すべき学生はいたが、悩まされ、驚かされることの方が多かった。

・志望大学は通学距離で決める
「家から近いからこの大学にした」という学生が多かった。偏差値や学費は理由にならない。

・基本的に学校は嫌な場所
学校は自分を落ちこぼれさせた場所。教師は敵。教室でやる気がありそうにしていると周囲から浮いていじめられる。しかし意外なことに、

・勉強ができないという自覚がない
教育困難大学に来る学生の多くは教育困難高校の出身である。そういう高校で大学を受験する生徒は「できる方」である。だから高校では一目置かれてきたようだ。親戚の中で自分が初めての大学進学者という者もおり、この場合も周囲から尊敬される。

・教員との距離が近い
教員に反抗的な学生が多い一方、同じ学生が甘えたがったり親密になろうとしたりするので戸惑った。補導されて迎えに来てもらう、クラスで自分だけ呼び出されるなど、それまでに教師と特別な関わり方をしてきたためかもしれない。

・30人に1人くらいは風呂に入ってこない。爪を切る習慣がない
どこまで立ち入ってよいのか悩んだが、爪は長くなりすぎて巻き始めていたら指摘した。

・危なっかしい学生がいる
ごく一部だが、借金、受け子、水商売などにはまって中退する。無気力で受け身な学生とは違い、野心、積極性、行動力があるからこそできてしまう。

・初回のゼミに全員集まったことがない
寝坊、怠慢、教室がわからないため。時間割を渡すだけでは足りない。

・声が小さい。その場にいる全員に聞こえる大きさの声で話せない
大教室の講義は大騒ぎで大変だった。しかしゼミの時間になると「もう少し大きな声で話せますか」と何度も言わなければならなかった。
声を張るとやる気がありそうに見え、浮いてしまうので避けたいのか。あるいは、いつも間違った答えを言ったり怒られたりしてきたため自信がないのか。

・教員として身の危険を感じる
土下座して単位を認定するよう迫る。私語を注意すると逆ギレする。夜道で追いかけてくる。何度も電話をかけてきて留守電は怒号の嵐。どれも違う学生である。着任した翌月に防犯ブザーを買った。


「今の自分ならもっとましにできる」などとは思えない。そんなに甘くはない。困らされた学生には二度と会いたくないが、私自身の偏りを教えてくれた存在ではある。そのことは覚えていよう。