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現在も過去もないという話

よく、過去現在未来と一本線の上に時間はあると考えているが実際には違うみたいなことを聞くけど、どういう事なのか考えていた。

今の私は今の私。さっき改札をくぐった私。今朝早起きをした私。高校行きのバスに乗る私。中学校の席に座る私。ランドセルを揺らして走る私。お遊戯会でなんとなく周りに合わせてる私。全部今いる。

でも今、駅にも学校にも幼稚園にも私はいない。


じゃあどこにいるんだろう。

 

幽霊について考えていた。

これは最近、青野くんに触りたいから死にたいという漫画を読んでめちゃくちゃ面白くてっていう理由もあるんだけど、家の法事でくるお坊さんがよく故人には時間や場所といった概念は存在しないと言っていたからでもある。


つまり亡くなったばあちゃんは今も家の前で私に手を振っていて、私の帰りに合わせてきんぴらごぼうを作ってくれて、私の返事に愛想がないと不満を述べているんだろうか。

いやそもそも今がないのだから、今もというのはおかしい。全て同時に存在するっていうんだから難しい。


それで、私の部屋に亡くなった猫が走り抜けることがあった。

締め切って猫のいないはずの部屋で、でも昔よくそうだったみたいにパーテーション代わりのカーテンの陰から陰へ、いつも通り小走りで抜けていった。

一瞬のことだったけど確かにいた。


それを私は、今もまだ、たーちゃんがこの家にいると思っていた。


でももし現在も過去も未来もないなら、たーちゃんは今いることにもなるし、過去あそこを横切ったたーちゃんを何かの拍子に私が知覚したという話なのかもしれない。


だけど、過去も今も未来もないなら、新しいたーちゃんはいるのだろうか。私たちの世界で死んで、そうするともう死んだあとの世界でも新しい動きはないんだろうか。

つまり、私たちのいう現在と過去で起こしたアクションがこの世界に時系列をつけずに記録されているんだとしたら、この先やるはずだったアクションは、記録されないんだろうか。

時間はないけれど生と死はあるのか。


なんだろうな。上手く言語が出来ないけど、あったかもしれない未来を歩んでいたりはしないんだろうか。


うちの職場のエレベーターにお化けが出るというのは有名な話らしいんだけれど、そのお化けはいつかこのエレベーターに乗っていた人の記録みたいなものが、場所の影響なのか人の影響なのか、何かの拍子にノイズのように現れた結果だとするなら。

そのいつかが、未来である可能性はゼロなんだろうか。


私たちの世界で言う未来でこのエレベーターに乗っている人の姿が、ノイズとして見えていてもおかしくは無いんじゃないだろうか。


ということはつまり、時間と生死は関係ないってことじゃないだろうか。


生まれ落ちた瞬間に私が起こす全てのアクションは既に終わっていているのかもしれない。


時間は相対的なもの、本来は存在しない。とかって聞くけど結局考えてくとよくわかんない。


なんか難しいね。

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