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HONGO22515のこれまでとこれから(その2)

 宮崎県西都市の銀鏡というところに来ています。銀の鏡と書いて「しろみ」と読みます。古事記や日本書紀に出てくるイワナガヒメが鏡に写った自分の姿が気に入らず、腹を立てて鏡を投げ飛ばし、その鏡が飛んできてここに落ちたのだそうです。
 その銀鏡で奉納される神楽は北極星を中心に組み立てられた珍しい星の神楽で中沢新一によると「日本離れしたエキゾチシズムを感じさせる」ものだとか。

 銀鏡に来たのは、僕に地域活動のイロハを教えてくれた大学同期の清武君の五十日祭(仏教の四十九日に相当)に参列するためです。彼は銀鏡に惚れ込んで取材を続け、映画「銀鏡」の完成にも尽力し、そうしている間に廃校になった小学校跡地にコミュニティ・スペースができ、五右衛門風呂を備えたゲストハウスができ、移住者が増えて今は大きなアパートを建設中です。地元の人の話では、いくら働きかけても何もしなかった行政の職員が少しずつ動くようになってきたのは清武君がここに来るようになってからだとか。最近では限界集落再生のモデル地区として全国から視察団が来るということです。


 僕は5年ほど前にこの小学校の跡地で開催された地域再生のアイデアソンに参加していました。このアイデアソンも清武くんが企画したものです。僕は当時出始めた小型の安いドローンを持ち込んで空撮をしようとしたのですが、風があって思うように撮影ができませんでした。今ではこのコミュニティ・スペースでドローン教室が開かれているそうです。感慨深いですねぇ。

 その後清武君は、西都市の小川でホタルの餌となるカワニナを育てるためにキャベツを撒いている人を見つけます。その小川でニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会ったと伝えられていることを知り、「みちのみちのり」という映画をプロデュースします。小川に沿って遊歩道が整備され、記紀の道という名前が付けられました。全長4kmの整備がちょうど完了したところで終点の長い階段を登った先には古墳群があるそうです。この日は革靴だったので少ししか歩きませんでしたが、いつか端から端まで歩いてみようと思います。

 五十日祭の後の会食の席で聞いた話ですが、清武君は全く損得の関係なしにこの地域のためにいろいろなことをして、それでいながら自分の功績を全く人に話すことがなかったそうです。「何のためにこんなことするんだろうと思うちょったが、今は分かる気がするね」と。葬儀のときに集まった彼の友人や映画の撮影に関わった人達は口々に「キヨタケさんと一緒にいて楽しかった」と言っていました。そういう人生って最高じゃないですか。みんながそういうふうに暮らせるコミュニティを作れたらいいな、と思いながら地域活動にかける思いを新たにした銀鏡の再訪でした。また来ます。

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