見出し画像

祈ったり

ハロー♫

神様に祈ることを最近よくやる、よくやるっていうかたまに、どうしようもなくなった時に神様に祈ってみる、っていうのを何回かやってみたらそれは別にいい感じで、変じゃなかった、側から見たら変なのかもしれないけど、一人で部屋でロウソクに火つけてじっとしてるだけなんだけど他人から見たら変なんだと思ったりもするけど、自分からしてみれば少しも変じゃないっていうか、正確な肉体の駆動として祈りがこのへんにあって、ただあって、私が祈っている、というよりも、私の身体を借りて祈りがそこにある。という感じなのだね。全く同じ座標に2つがすわっている状態というか。
準備として液晶を全部消して、部屋のもともとの灯りとロウソクだけが光っている状態になる、エアコンの風に吹かれてロウソクの火がまぶたの裏側できらっきらっきらっきらっきらっきらっきらっと点滅して、点滅して、点滅して、点滅して、消えそう消えないまだ光っている消えそう揺れてまだ光っているまだ点いているまたまた揺れるまた戻る消えそう消えないまだ光っている
その中で祈りとして私は言葉をよむ、言葉にならないことをわざと言葉にする.お願いしますお願いしますって泣きたくなるような気分でそうしてずっと続けているとだんだん太もものあたりがぞわっと鳥肌が立ってきてそれがとまらなくなり大きな振動と震えになって宙に、少し椅子から、0.05mmぐらい浮くとそれに名前が、つくとしたら浮遊ではなくてもうそれは、その時のそれは祈りって名前なんだと思う.





ニコラテスラのこともっと知りたい。ニコラテスラはなにを考えていた?




 朝は野菜とパンを食べる、昼はたくさん食べる、夜はほとんど何もたべないか、野菜のスープをたべる インドにいる友達のことを考えて朝ヨガ


小学生の頃はみんながもっと簡単に人を呪ったり祈ったりしていた



知らない人とかかわるの好きな人はどれくらいいるのか、わたしは、苦手なんだけど、わりと、
時間が経つと“良い経験をした”と解釈してしまって
本当は苦手なんだと思うんだけど
いつもそのことを忘れて、良かった記憶になって
良かった記憶っていうか、良い経験をした、みたいな解釈になってて、気づいたら、良くなかったとはおもわなくなっていて、記憶の改ざんみたいな、それでだから、気がつくとまた知らない人にかかわることを良しとしてる
でももっと孤独でもいいなって最近は思う
大人になったらそのうち
孤独になる気がしているし、だれでも、その時、耐えうるように


ねっ
単に静かに制止した状態のことを美しさとは呼ばない
インスタグラムは狂っているぜ



ニコラテスラって語呂いいし

キラキラ度
キラキラドラマ
内向き花火

はい

家路でオナラしたら人が居て恥ずかしかった


好きな顔文字
σ(^_^;)


チャーミングなシンパシーでもって、どきどき回転するまま、嗅覚が終わって、空想と呪いのあいだを延々と行き来していたら、いつからか駅についてた、その時、いま私が乗っていたのが終電だったと気づいた
やさぴー映画撮りたい
映画監督になりたくない
映画撮り師になりたい
ごめんってなるから
でもたぶん映画撮るなら悪役になった方が上手くいくんだ
野山に映画小屋を建てたいな
スーパー子供たち
いつから千円を百円みたいに使えるようになったんだろうとか
いつから自分の顔貌を認識し始めたんだろうとか
いつからマンションをアスレチックではなく風景として見るようになったんだろうとか
最近は自分がいつからこどもでなくなったのかということに関心がある
女子小学生のカッコウを再現してみたりした
私の駅には古着屋と古本屋とファミリーマートが3つもあって、車がたくさん通る、でも夜中には、おれんじ色の光、高い街灯ばかりがしずかに大通りを照らすようになる。そのへんが、札幌市すすきのと同じだす
うふ
オーエス オーエス!
やっぱ
うちさ…
優しくなりたい
それでもって機敏に走れる
でも優しくなって傷つきたくもないよね
だからよく分かんない.ペースト状のホウボウを食べているとき、チョコレートの味がしたのか、星の味がしたのか分からなくなる

一人でいることは
誰にも
食レポを、求められないことだから

味のことを、頭の中で形容しなくてもいいね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?